あぁ~この国は




 少子高齢化問題、製造業空洞化( アジア諸国とのコスト競争劣位 )問題、就職氷河期問題、中高年の雇用不安( 人減らし )・職無し問題、収入減少 ←→ 保険・税増加問題 ……。
 目先の低コスト・広大な( ? )マーケットに釣られて( 危険 )、猫も杓子も中国へ進出する。 結果、日本国内では人が余り、中高年は勿論、学生でさえ職が無い。 あの国の政治体制は、超長期戦略で日本を乗っ取ろうとしている。 それに加担している政治屋・似非学者・マスコミ等がいる。
 北朝鮮は今年、暴走か崩壊する可能性が高い。 北のミサイルは、日本は勿論、米国本土( 西海岸 )まで射程に入れている。 日本は憲法に呪縛され、専守防衛しかできません、 …… の議論の域を出ない。 これほど無責任・無防備・丸腰では話にならない。 座して死を待つのか。
 若者の多くは、心身ともに腐敗しきってしまい、無国籍人となっている。 あと百年もすれば、この国は地理的に残っているだけ …… とならないよう、今こそ頑張る時ではないのか。 無駄を省き、知恵を出し合い、全国民・全員が痛みを公正・公平に分かち合って、この危機を乗り越えよう。







 

( 1 )日本人は戦前の罪を背負っている。
( 2 )韓国は国も近いので民族性もどこよりも日本に近い。
 これらは今現在の日本の常識ですが、これこそ是正すべき非常識 なのです。

 ( 1 )の、従軍慰安婦や南京大虐殺や強制連行は全て捏造 であり、戦前の朝鮮半島への一等国民扱いの朝鮮人への待遇や、ハングル語教育や投資などのこれら歴史の真実は嫌韓の方はご存知でしょうが、多くの日本人は知らないのも事実です。

 ( 2 )の、民族性も両国間の歴史を知らない多くの日本人がこの思想に陥っています。昨今の捏造の韓流も同じ流れです。

 また、知識人でさえも 『両国の類似した民族性を参考に』 との考えを持っているのも事実です。

 民度の違いや道徳概念の違い、中国の属国か一部であった朝鮮と島国の日本。
 経済力、文化力どれをとっても日本と韓国は全く違います
 韓国とは、近くても全く違った異質の民族の国として接する必要があるのです。
 国民性で言えば、日本は北欧に近いとの事実も知るべきでしょう。


 地理的条件から国民性が近いと考えるのは 愚の骨頂 です。
 チュニジアとイタリアの国民性は同じですか?
 モロッコとスペインの国民性は同じですか?


 南北朝鮮が反日思想を持ち続けるようであれば、国交の断交 も止む終えないでしょう。
 北朝鮮は勿論ですが、韓国は基幹産業は日本に依存している事実を認識すべきでしょう。
 日本にとって韓国と同等の国は多く存在しますが、韓国にとって日本は掛け替えのない尊い存在なのです。

 国交断絶は韓国に大きな痛手を与えますが、日本には殆ど影響を与えない のです。
 日本には中国以外にインド、韓国以外に東南アジア諸国と強い味方が多いのです。


 この先の環境大国として世界平和を唱える国としての日本は、未だ、捏造反日思想の朝鮮チベット・ウイグル・内モンゴルを支配下に置く覇権主義国家中国 との国交断絶も将来の超先進国家日本の成すべき事ではないのでしょうか?
 日本はこれら無法国家を正しい方向に導く義務と、それを実行する経済力を有しています。


 さて‥‥‥、
 足りないのは、日本国民の知識と政治力 ですね‥‥‥。






それでも、あなたは日本人ですか?
~国旗・国歌を拒否し、侮辱し、引きずり降ろす日本人~
 毎年春になると、各学校では卒業式や入学式が行われ、卒業を期に社会に出る者、あるいは進学する者、また新しく学の場に入る者など、長い人生の間で、本人にとって思い出が残る緊張した時であろう。また、本人はもとより、その両親にとって、わが子の晴れ姿と成長の喜びをかみしめたい厳粛な式にして貰いたいと学校当局に期待したいでしょう。

 教育の場において、卒業式、入学式などの際は国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは、数年前に成立した国旗・国歌法により定められ、文部科学省も学習指導要領により、各地の教育委員会を通じ指導に努めています。
 しかし、毎年のように、わが国では、 「国旗の掲揚はあったか」 「国歌の斉唱はあったか」 などの各市町村別の統計が発表され、昨年より、掲揚率や斉唱率が上がったとか下がったとか言って、一喜一憂している現状です。

  国旗の日の丸、国歌の君が代に拒否反応を示す人は、まだまだ多く、昨年夏に陸上自衛隊富士学校の開校祭を見学した時、式典の初めに国旗掲揚がありますが、かなりの人が、座ったり、寝転がったりしたままで、自衛隊員の方は、帽子をかぶったまま、挙手の敬礼をしていましたが、私たち普通の国民は、そんな敬礼をする訳にはいきませんので、私は帽子を脱いで胸に手を当てて、掲揚ポ-ルに注目していました。自衛隊の式典を見学に来る人でさえもこんな状態ですから、他はもっとひどいではないでしょうか。

 もし、私たちが外国に行った時、スポ-ツの試合開始前の同じような国旗掲揚の場で国際儀礼に従い、帽子を脱いで胸に手を当てて、掲揚ポ-ルに注目しないと、マナ-がない日本人だとして笑われてしまいます。
 そのような国際儀礼を教える場でもある学校の先生の一部には、国旗・国歌に対し、拒否反応を示し、色々と訳の分らぬ難癖をつけて、 「強制するのはおかしい」 とか言って、生徒に拒否することを押しつけています。式の最中に 「君が代は歌いません」 と大声を出して会場を出て行ったり、着席したままの先生もいます。 また保護者の中には、学校当局に、いずれも実施しないように圧力を掛けたり、式の最中に、君が代の斉唱がはじまると、すっと着席し、まわりを一瞬シラけせたりする人もいます。
 国旗・国歌を拒否する人は 「自分だけは正しい」 と思っているだろう。
 しかし、私の日本国民としての正しさは、国旗に敬礼し、日本人としての誇りのために国歌を歌うが当たり前であると思います。
 国旗・国歌を拒否する人、侮辱する人、掲揚されている国旗を引きずり降ろす人、それでも、あなたは日本人ですか





日の丸 切り張り
旗を

 民主党が鹿児島県霧島市で開いた集会で2枚の国旗を切り張りして作った民主党の旗を掲げた問題で、地元の民主党候補の後援会が 「誠に不適切」 とする謝罪文を出した。 熱心な支持者が手作りで作製したもので、国旗をおとしめる意図はなかったという内容だ。
 だが、この衆院選立候補予定者の決起集会には、民主党の小沢一郎代表代行も出席し、切り張りされた国旗が一時、民主党のホームページにも掲載されていた。 後援会の謝罪文だけで済ませるべき問題ではないだろう。
 外国では、国旗への侮辱行為に刑事罰を科す国が多い。 日本には国旗侮辱罪などを規定した法律はないが、法律以前に、国旗は国歌とともに、国と国民の一体感を表す象徴である。 党派や主義主張の違いを超え、国民として敬意を表さねばならないものだ。
 まして、民主党は野党第一党として、次期政権をめざす政党である。 党として、鹿児島県で起きた問題をどうとらえ、国旗のことをどう考えているのかを、国民にきちんと説明すべきである。 国旗を切り張りした経緯も、後援会の謝罪文では不十分だ。 党で責任をもって事実関係を調べてほしい。
 平成11年、国旗国歌法が成立した際、当時の民主党は自主投票で採決に臨んだ。 自民党出身と旧民社党系の議員はほとんど賛成し、旧社会党系議員はほとんど反対した。 そうした複雑な党内事情を反映してか、民主党の大会では国旗が掲げられていない。
 鳩山由紀夫代表も今回、「それは国旗ではなく、われわれの神聖なマークなのできちんと作られなければいけない」 と 国旗より党旗を重視するかのような発言をしている だが、民主党が仮に政権を取った場合、今までのような国旗・国歌に対する中途半端な姿勢では済まされない。
 民主党の支持母体である日教組はいまだに、 「日の丸・君が代の法制化に反対」 という昭和50年の見解を変えていない。 国旗国歌法成立後も、日教組の強い地域や学校では反対運動が続き、小学生による校長への土下座要求( 平成12年、東京都国立市 )や民間人校長の自殺( 平成15年、広島県尾道市 )などの事件が起きた。
 国旗・国歌の指導を含め、子供たちに日本の歴史と文化の伝統をどう伝え、国を愛する心をどう育んでいくかも、衆院選で大いに論じてほしい。




( 2010.03.03 )





 田中京子は結婚を目前に控え、憂鬱だった。 農家の一人娘として何不自由なく育ち、都内でOLになった京子は、同じ地方出身者の同僚、鈴木一郎と出会い、2年越しの交際を経て晴れて秋に結婚の運びとなった。 京子は育ててくれた両親を安心させたいとばかりに、国会で成立したばかりの選択的夫婦別姓の利用を思いたち一郎もいったんは快諾した。 ところが話が具体的になるにつれて2人は、生まれてくる子供の姓をどちらにするか、をめぐってもめるようになったのだ。

 「家名を残すには、子供の姓は田中にしたいと、私の両親が願っているの」

 「僕の両親は、そもそも別姓に反対だったんだ。 親子別姓はおかしいだろ。 僕だけが鈴木で、君と子供たちはみな田中? 子供から、 『どうしてお父さんだけ姓が違うの』 といわれる僕の気持ちを考えてくれよ」

 将来生まれる子供の姓をどちらにするか。 実は選択的夫婦別姓では結婚前に決めなければならない。 子供の姓が鈴木なら結局、田中の家は絶えてしまう。 親戚を交えた協議を何度も重ねたが両家は互いに譲らず、険悪で重苦しい空気が流れた。 はじめは 「貴方の選んだ人だから …」 といっていた両親も今や 「あんな人」 呼ばわりだ。 「こんなはずではなかった」。 京子も祝福に包まれた結婚生活に正直、自信が持てずにいる。

《 選択的夫婦別姓法案の最大の問題点。 それは、夫婦別姓が親子別姓だということだ。 何人子供がいても子供の姓は皆どちらかひとつに統一される。 いったん決めてしまえば、後で後悔しても同姓に戻すことは許されない 》
◇◇◇◇◇
 佐藤りえは中学2年生。 両親が別姓を選択した。 両親はりえに 「 『姓』 が違うだけで、家族に変わりはない」 という。 しかし、母親がこう強調すればするほど、りえにはある違和感が芽生えてくる。 母の言葉をどんなに自分に言い聞かせてみても、自分の 「生き方」 を正当化する母親が、私に押しつけているという疑義がぬぐえないのだ。 そうした思いを母に打ち明けたことはない。 母は私の胸の内を知ってて 「家族に変わりない」 といいきかせるのだろうか。 不快感とともにやり場のない寂しさが募る。 正直つらい。

 表札の母親の名前は 「山本ひろ子」。 表札を見た同級生が口々に 「離婚したのに同居している」 「家庭内別居だ」。 こうからかわれ続けている。 説明も面倒で黙っているが、表札を見ると 「どうして自分の家は他の家と違うのか」。 こんな思いがこみ上げ、そのたびに母のいう 「別姓でもきずなは変わらない」 が独り善がりに思えてならない。 娘には憂鬱で仕方ないのだ。
◇◇◇◇◇
 自分も死にたいと、大山妙子は思った。 40数年連れ添った夫が先日、急逝した。 夫と一人息子の幸太郎の3人で社員100人を抱える中小企業を切り盛りし、息子は立派な後継者に。 安心して会社を任せるつもりだった。

 ところが、通夜の日、10代の子供を連れた女性が現れた。 「この子は夫の子供だ」 という。 しかも 「この子には息子と同額の遺産を相続する権利がある」 と相続を迫ってきたのだ。

 別姓の改正民法には 「非嫡出子差別の禁止」 として不倫で生まれた子供も非嫡出子として財産を平等に与えるよう定めている。

 ショックだった。 夫の子供なら、多少の遺産を渡すのはやむを得ないかもしれない。 だが、息子は 「十数年、父とともに汗を流し、会社をここまでにしたのに ……。 会社はどうなるんだ」 と強く反発する。

 息子と同額の遺産を渡すには会社の株を渡して経営陣に参加させるか、わが家を売って現金を準備するしかないからだ。 しかしわが家は銀行の担保下にあり、売り払うのも難しい。 あの女性は 「恨むなら、法律と国を恨みなさい」 と言った。 妙子は、血も涙もない法律を恨むしかなかった。
◆◆◆◆
 日本社会は結婚すると、夫婦が同姓となり支え合いながら生きていく。 この大きな原則が脅かされている。 婚外子差別や家族の多様性などさまざまな不都合や不満を背景にした 「選択的夫婦別姓制度」 が導入されつつあるのだ。 推進者は制度のメリットを強調し、一部の希望者のみに認めるだけで、社会への影響は少ないと説明する。 …… が、果たしてそうか? 同姓家族と別姓家族が混在する社会が私たちに何をもたらすのかを 「未来予想」 をしてみた。




「ローラ、もしもの時に男性に頼らなくても生きていけるように仕事を持っておきなさい」

 母は、娘の私に繰り返しこう話した。 夫と離婚し、クリーニング店の店員をしながら苦労して私を育てた母を見て私は、男性に頼らない、女性の経済的自立こそ幸福の条件と信じていた。

 だから私も結婚するとき、夫婦別姓を主張し、旧姓のまま仕事も続けた。 夫の姓を名乗るのは男性への降伏とすら考えていた。

《 米国では1960年代からフェミニズムの影響で、男性からの経済的自立で女性は自由を得るという生き方が吹聴され、夫婦別姓や事実婚を推奨する運動が盛んだった 》

 「なぜ夫婦別姓にしないといけないのか」 と尋ねた夫に私は 「夫婦でも独立した人間でいたい」 と答えた。 夫は納得いかない顔をしたが認めてはくれた。

 長女の出産後、直ちに保育所に預け仕事に復帰できた。 しかし、育児と仕事で忙しく、次第に夫婦の会話は少なくなった。

 ある日、同僚から郊外の一軒家の購入を薦められ、夫に相談すると、意外な言葉が返ってきた。

 「君は、僕と一生を共にする気がないから結婚しても旧姓のままだし、離婚しても暮らせるよう仕事を続けているんだろう。 夫婦共有の財産など後で困らないか。 やめよう」

 返す言葉がなかった。 別姓選択が、夫と一緒に見られるのが嫌だったのは間違いないからだ。

《 米国価値研究所の調査では、事実婚は単に一緒に住むことを選んだカップルで、生涯を誓い合い、将来を委ね合う関係ではない。 そのため、正式な婚姻夫婦に比べ、自分たちの収入を共同で使うことが少ない傾向にある 》

 夫は次第に外での飲酒が増え、休日も趣味のバイクに夢中になっていく。 ある日、浪費を注意すると、夫はこう答えた。

 「夫婦でも独立した人間でありたいと言ったのはローラ、君だよ。 自分で稼いだ収入を自分のために使って何が問題なのか。 君も収入を得ている。 お互い自立するんだろう」

《 米国では、女性が社会的自立を目指し仕事をするようになった半面、 「妻と子供を扶養するのは男性の責任だ」 という意識が急速に薄れた。 その結果、1960年にわずか5%だった婚姻外出産率( 未婚の母の出産 )が、2004年では34%に。 父親、母親とだんらんを味わえない子供が40年で7倍に増加した 》

 この結婚はもう駄目かもしれないと思った。 気がかりは子供のことだ。 離婚は子供にどのような影響を与えるのか、相談したらカウンセラーから、びっくりするような話ばかり聞かされた。
◆◆◆◆
 夫婦別姓、女性の社会進出、子育ての外注化という流れの中で米国では男性が妻と子供を扶養する責任を感じなくなっていった。 離婚や未婚の母が増加し、家族という生活の基礎的な基盤を失って苦しむ子供たちが急増した。 ペンシルベニア州立大学ポール・アマト教授は 「安定的な結婚を1980年の水準まで上昇させれば、停学になる子供を50万人、非行、暴力行為に走る子供を20万人、心理療法を受ける子供を25万人、喫煙する子供を25万人、自殺志向の子供を8万人、自殺未遂の子供を2万8千人、それぞれ減らせる」 と警鐘を鳴らした。

 「家族のきずな」 よりも 「個人の意向」 を優先する社会 これが何をもたらしたか。 米国の女性たちは既に教訓を得つつある。 「( 米国女性は )過去25年間で初めて女性の就労率が下降し、女性の86%が 『仕事よりも家庭が大事だ』 と思っている」
( 2002年3月12日付 『USAトゥデー』 )
 日本は米国の過ちを繰り返すのだろうか ……。




 20××年、お彼岸。 かつては家族連れが訪れ、お墓の前で神妙に 「お参り」 していた日本ならではの光景は、過去のものとなった。 雑草も生え放題で、代々の先祖が眠る 「○○家」 と記された墓は見捨てられたまま、もう何年にもなる。 「無縁仏」 同然で誰にも見向きもされなくなった墓が全国各地にあふれているのだ。

 「子供が18歳になったら 『家族解散式』 をやろう」 ( 『結婚はバクチである』 )

 「( 別姓の夫婦が多くなれば )外からみると、事実婚なのか、法律婚なのか、分からないと思います。 私は、事実婚なのか、法律婚なのか、まったく分からなくした方がいいと思うんです」 ( 『夫婦別姓はいかが』 )

 著書に象徴されるように、夫婦別姓を推進する福島瑞穂少子化担当相らの考えに抗する動きが今までなかったわけではなかった。 選択的夫婦別姓制度の導入を法務省にある法制審議会が答申・提言したのは平成8年2月。 しかし、何度も検討の俎上に載せられたが 「日本の伝統文化を壊す」 「家族の絆を壊す」 として法案提出は見送られてきた。

 一方で、推進論者が別姓の根拠に挙げていた、旧姓の通称使用も官公庁や一般企業で広く認められるようになった。 結婚した女性は名字が変わり、仕事に不都合が生じことがあるためだ。 それでもなお、推進論者は 「夫婦別姓」 の導入を訴え続け、そして民主党をはじめとする与党の圧倒的多数で成立させたのだった。

 法案成立後、時間がたつにつれて、結婚観や家族観は様変わりした。 福島氏が著書で述べたように、別姓導入で 「結婚」 と 「同棲」 の垣根がなくなっていき、わざわざ法律婚を選ぶ人は減った。 別姓先進国、欧米諸国がそうであったように家庭を維持する義務や努力をきらい、離婚の選択も増えた。 福島氏の提唱した 「家族解散式」 を営む個人が増え、文字通り 「結婚は博打」 となったのだ。

 選択的夫婦別姓が導入されると、やがて戸籍の個人別管理をめざす 「戸籍改革」 が掲げられた。 戸籍はそれまでの家族の連続性、一体性を記し、未来に残していく証しだったが、その 「効能」 をふだん実感できる機会は乏しい。

 「戸籍改革」 を 「戸籍新時代」 などと新聞テレビは大喝采した。 政治も進歩的な時流に流されるままだった。 「血統」 や 「家柄」 「家」 は封建時代の産物と目の敵にされ、 「個人」 が最重要な価値に置かれた。

 戸籍だけではない。 個人別になったのは、墓も同じだった。 夫婦別姓を選択することは 「○○家」 という考え自体を否定することにほかならない。 だが、日本人がそのことを疑問視しだしたのは、ずっと時間がたった後だった。

 家単位の墓は急速に廃れ、誰も墓参りに来ることがない個人名の墓が増えたことも 「個人の自由」 となった。 かつて日本では 「姓」 を祖先から受け継がれてきた名称と受け止めていた人が67.2%( 内閣府調査 )にのぼったが、それも過去の話になった。 別姓夫婦の子供たちが増えた結果、もはや祖先という言葉自体が死語同然となった。 「ご先祖のお墓を守る」 という気持ちも廃れていった結果、墓はただの骨の収容施設で 「人は死んだら忘れられる」 時代になった。 この結果、全国各地に見捨てられ荒れ果てたお墓が増えたのだ。

 日本社会の基礎的な基盤、家族はわれわれにとっての精神的な基盤でもある。 その家族の絆に対立の火種を持ち込むだけでなく、家や墓を通じて先祖を大切にする 「敬慕」 「追悼」 の念すら廃れてしまう恐れが選択的夫婦別姓にはある。 制度のメリットを説く推進者の言だけで決めるのではなく冷静な議論が必要なのだ。