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( 2011.03.18 )

 
 東日本大震災の発生から18日で1週間。 東京電力福島第1原子力発電所の放射能漏洩事故に対する政府の対応は後手に回り、菅直人首相は与野党双方から 「無策」 と批判された。 首相が自らの 「勘」 を信じ、押し通していれば、放射能漏れの危機を回避できた可能性もあったが、またも政治主導を取り違え、有効な施策をなお打ち出せないまま現在に至った。



 「外国籍の方とは全く承知していなかった ……」
 大地震が発生した11日、首相は参院決算委員会で野党の激しい攻撃にさらされていた。 前原誠司前外相に続いて政治資金規正法が禁じる外国人からの献金が発覚し、退陣の一歩手前に追い詰められた。
 ところが、この日午後2時46分の地震発生で一気に政治休戦となった。
 決算委は急遽中断され、首相は直ちに首相官邸に戻り、危機管理センターの巨大モニターから流れるメディア映像を食い入るように見た。 目にとまったのが、第1原発だった。
 大津波をかぶって自動冷却装置が破損し、炉内の冷却が思うようにいかない、との報告が上がってきた。 官邸内に緊張が走ったが、首相には野党の追及から逃れた安堵感とはまた別種の 「意外な自信」 ( 政府関係者 )がみなぎっていた。
 「まず、安全措置として10キロ圏内の住民らを避難させる。 真水では足りないだろうから海水を使ってでも炉内を冷却させることだ」
 首相の意向は東電に伝えられた。 「これが政治主導だ」。 首相はそうほくそ笑んだのではないか。




 だが、東電側の反応は首相の思惑と異なっていた。
 10キロの避難指示という首相の想定に対しては 「そこまでの心配は要らない」。 海水の注入には 「炉が使い物にならなくなる」 と激しく抵抗したのだ。
 首相も一転、事態の推移を見守ることにした。 東電の “安全宣言” をひとまず信じ、当初は3キロ圏内の避難指示から始めるなど自らの 「勘」 は封印した。
 「一部の原発が自動停止したが、外部への放射性物質の影響は確認されていない。 落ち着いて行動されるよう心からお願いする」
 首相は11日午後4時57分に発表した国民向けの 「メッセージ」 で、こんな “楽観論” を表明した。
 ところが、第1原発の状況は改善されず、海水注入の作業も12日午後になって徐々に始めたが、後の祭りだった。 建屋の爆発や燃料棒露出と続き、放射能漏れが現実のものとなった。
 15日早朝、東電本店( 東京・内幸町 )に乗り込んだ首相は東電幹部らを 「覚悟を決めてください」 と恫喝した。 直前に東電側が 「第1原発が危険な状況にあり、手に負えなくなった」 として現場の社員全員を撤退させたがっているとの話を聞いていたからだ。
 「テレビで爆発が放映されているのに官邸には1時間連絡がなかった」
 「撤退したとき、東電は百パーセントつぶれます」
 会場の外にまで響いた首相の怒声は、蓄積していた東電への不信と初動でしくじった後悔の念を爆発させたものだ。 官邸に戻った後も 「東電のばか野郎が!」 と怒鳴り散らし、職員らを震え上がらせたという。




 初動のつまずきで 「勘」 が鈍ったのか。 その後の政府の対応は一貫して後手後手かつちぐはぐだった。
 「現場第一主義」 を掲げる首相は、大震災発生翌日の12日早朝、官邸から自衛隊ヘリコプターで第1原発の視察に向かった。 現地の状況を目で確かめ、午後の与野党党首会談で第1原発を 「危機的状況にはならない」 と言い切った その最中に1号機で水素爆発が起き建屋が崩壊した。
 「16日に自衛隊による放水ができなかったのは、首相の決断が半日遅れたためだ。 その間に放射線量が上がった可能性がある」
 放水オペレーションにかかわる政府高官は指摘する。 だが、首相の頭は東電への不満でいっぱいだ。
 「東電の危機感が薄い。 だから乗り込んだ」
 首相は16日夕、官邸を訪ねた内閣特別顧問の笹森清元連合会長に向かって、こう胸を張った。 続けて東京工大応用物理学科卒の経歴を誇るように言った。
 「ぼくはものすごく原子力に強いんだ」
 東電出身の笹森氏は会談後、記者団に 「( 首相は )原子力について政府の中で一番知っていると思っているんじゃないか」 と述べた。 皮肉交じりなのは、半可通の口出しほど危険で邪魔なものはないと内心考えたからかもしれない。
 笹森氏は、首相が 「ここから第1原発の方も収まりそうなので、原発の問題で枝野( 幸男官房長官 )さんや福山( 哲郎官房副長官 )さんの荷を軽くさせたい」 と述べたことも明かした。
 この 「収まりそうだ」 との発言も波紋を呼んだ。 官邸筋は 「とてもそんな状況じゃない」 と驚愕した。




 「一度に複数のことは考えられない」 ( 周辺 )とされる首相の関心がもっぱら第1原発の対応に集中した結果、被災地復興や被災者支援は後回しになった面もある。
 何事にも官邸主導を見せようと首相と枝野氏ばかりが表に出て、大震災の直接の担当責任者であるはずの松本龍防災担当相はほとんど官邸内にとめ置かれている。 平成7年の阪神淡路大震災では、権限を与えられた当時の小里貞利特命相が現地で陣頭指揮を執ったり、テレビで被災者への呼びかけや政府の対策のPRを積極的にしたりしていたのとは対照的だ。
 当時の政府対策を知る自民党議員は14日、 「東日本大震災の被災者らを西日本で受け入れる態勢が必要ではないか」 という話を持ち込もうとした。
 最初に厚生労働省社会・援護局に持ち込んだら、 「内閣官房で対応しているでしょう」。 内閣官房からは 「厚労省の仕事でしょう」 との答えが返った。
 自民党議員は「これは責任のなすり合い以前の機能停止状態だ。 すべて官邸でやろうとする菅政権の弊害が出ている」 とあきれた。
 16日になって総務省から西日本の都道府県や市町村に公営住宅の空き状況などを調査する指示が出た。 だが、この指示の背景や理由説明はなかったため、西日本の自治体は 「第1原発が相当深刻なのか」 という不安を増幅させた。
 17日、首相は参院で問責決議され、官房長官職を交代した仙谷由人民主党代表代行を官房副長官として再び首相官邸に迎えた。
 「震災対策や被災者支援は政治力を要する仕事だ。 仙谷新副長官が適任だと首相が判断した」
 枝野氏は記者会見でこう説明したが 「陰の首相」 の復活により混乱は収拾できるのか。 それとも ……。





( 2011.03.27 )

 



 北澤俊美・防衛相( 73 )の好きな言葉に 「文民統制=シビリアン・コントロール」 があるが、生半可に理解している節がある。 アドルフ・ヒトラー( 1889~1945年 )は第二次世界大戦においてドイツ国防軍や親衛隊を指揮・統率したが、ヒトラーは 「文民」 であるからして、独軍は 「文民統制」 されていたことになる。 そのヒトラーの指揮・統率ぶりはつとに知られる 「独善的」 に加え、意外にも 「場当たり的」 面も少なくなかった。 「独善的」 「場当たり的」 といえば、東日本大震災における最高指揮官・菅直人首相( 64 )の“指揮・統率ぶり”そのもの。 国家危急を前に、とんでもない指導者が現れる歴史の悲劇は、世紀をまたいで繰り返される。

 ヒトラーによる 「場当たり的」 指揮・統率の背景に、自身が持つコンプレクスがある ― という分析は興味深い。 ヒトラーはドイツが誇る軍参謀本部に陣取る参謀からの戦略・戦術・作戦について進言を折々に、意識的に退けた。 将校は原則として、士官学校を皮切りに、昇進する度に各学校・教育課程に入校を繰り返す軍事のプロ。 中でも参謀本部の参謀はえり抜きのエリート集団である。 その情報収集・分析力はヒトラーの及ぶところではない。 しかし、ヒトラーはあくまで我を貫いた。 第一次世界大戦( 1914~18年 )では、大日本帝國陸軍でいえば兵卒最上位の兵長か、次位の伍長勤務上等兵に過ぎなかったヒトラーの、エリート将校への反発は、尋常ではなかったとも言われる。

 例えば第二次大戦( 39~45年 )で、参謀本部はフランス東部の独国境沿いに構築した堅牢な仏軍マジノ要塞群( 線 )の突破は不可能と判断し、仏攻略に消極的だった。 ただし、消極的ながらも参謀本部は、第一次大戦前にドイツ陸軍元帥アルフレート・フォン・シュリーフェン伯爵( 1833~1913年 )立案の 「シュリーフェン・プラン」 を応用した作戦を、ヒトラーに進言した。 原案は、ロシアをにらむ東部戦線には最小限の寡兵で警戒し、西部戦線右翼の主力はベルギーの中立を侵犯、旋回を強行し、北仏に回り込んで、仏軍などをマジノ線背後で殲滅する-流れを基本としていた。

コンプレクスが自信に

 一方、参謀本部へのコンプレクスに加え、第一次大戦で悲惨極まりない塹壕ざんごう戦を経験したトラウマも手伝い、ヒトラーは参謀らの上申を極めて不快に感じ、参謀本部が却下した 「マンシュタイン・プラン」 を、あえて採用する。 「マンシュタイン・プラン」 とは、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン陸軍元帥( 1887~1973年 )策定の作戦で“売り”は本来、戦車・重砲の迅速・大量通過が困難とされる森林地帯を突破・越境するという点にあった。 参謀本部案が連合軍側に漏洩していた可能性を危惧した面もあろうが、作戦の持つ華麗さも、ヒトラーの気を引いたようだ。

 結果は、作戦の意外性に加え、連合軍側の下策や仏軍の旧態依然の軍事思想、指揮命令系統の乱れなどにも助けられ、マジノ線は破られ、連合軍にダンケルク撤退を強い、パリは短期間で陥落する。 参謀本部も予想外と驚く 「ほぼ完勝」 を呼び込んだ。

 ヒトラーのコンプレクスは自信に変わり、自らを 「軍事的天才」 と思い込み( 否定できない部分もある )、周りもプロパガンダとして流布させた。 以後、参謀本部の作戦計画をますます退け、退けては悦に入った。 かくして、ドイツは滅亡への速度を加速させていく。

重なる菅首相の脅え顔

 菅首相も大震災以前から 「政治/官邸主導」 と称して、文民参謀=官僚らの才を無視政策の落ち度は官僚のせい にした。 原発建屋爆発や放射能漏れが現実となるや東京電力も恫喝 した。 大震災と東電福島第1原発事故の渦中に行った自民党総裁への大連立構想打診 にあたっては、盟友の仙谷由人・官房副長官( 65 )にさえ知らせぬ 「独裁者」 ( 民主党ベテラン )ぶりを発揮した。

 軽視され、秘密裏に軍事作戦を立案され続け、恫喝された揚げ句、負け戦の責任を転嫁された参謀本部参謀や一部将軍と、ヒトラーとの関係を彷彿させる。 ヒトラーはマンシュタイン元帥の作戦を大きな感銘を持って聴いた後、元帥を下がらせてから側近に語った。

 「ずば抜けて賢明で、見事な作戦立案の才を持っている。 だが、私は彼を信用しない」

 信じる者を持たず、孤独で神経質なヒトラーの陰鬱な表情が、わが国宰相の虚ろな脅え顔と重なる。

 ところで、第1次大戦敗戦に伴うGNP( 国民総生産 )の20年分の賠償金や、世界恐慌によりドイツが大量の失業にあえぐ中、ヒトラー率いる国家社会主義独労働者( ナチス )党は 「年金支給額」 や 「失業保険」 を大幅に増大・強化する“公約”を掲げ急成長する。

 


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