English
英语
영어

( 2011.04.04 )

 


 東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。 菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。 秘書官らは 「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」 と引き留めたが、決断は揺るがなかった。

 「総理、原発は大丈夫なんです。 構造上爆発しません」。 機内の隣で班目まだらめ春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。 原発の安全性をチェックする機関の最高責任者 だ。

 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。 東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、 圧力を下げる作業( ベント )を前夜から迫られていた。 班目委員長は 「視察の前に、作業は当然行われていた と思っていた」 と振り返る。 だが、着手は遅れた。

 首相は官邸に戻った後、周囲に 「原発は爆発しないよ」 と語った。

 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。 しかし間に合わず、 午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。 「原発崩壊」 の始まりだった。 致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。

           ◆◆◆

 11日、東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京で震災の一報を知る。 心配する同行者に 「情報がない」 と漏らし顔をゆがめた。 衛星携帯で本店と連絡を取り続けたが、帰国できたのは翌12日。 清水正孝社長も出張先の関西から帰京できない。 東電はトップ不在のまま対策本部を置く。

 一方、官邸の緊急災害対策本部。 当初、直接東電とやりとりするのではなく経済産業省の原子力安全・保安院を窓口にした。 「原子炉は現状では大丈夫です」。 保安院は東電の見立てを報告した。

 しかし、事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。 菅首相は11日夕、公邸にいる伸子夫人に電話で 「東工大の名簿をすぐに探してくれ」 と頼んだ。 信頼できる母校の学者に助言を求めるためだった。

 11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。 電源車を送り込み、復旧しなければならない。 「電源車は何台あるのか」 「自衛隊で運べないのか」。 首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。

 官邸は東電役員を呼びつけた。 原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請した。 しかし東電は動かない。 マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。 放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある。

 「一企業には重すぎる決断だ」。 東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。 復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。

 翌12日午前1時30分、 官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。 だが、 保安院は実際に行うかどうかについて 「一義的には東電が決めること」 という姿勢を変えない。 国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は 「事業者の自主的な措置」 と位置づけられている。

 「東電はなぜ指示を聞かないのか」。 官邸は困惑するばかりだった。 首相は 「東電の現地と直接、話をさせろ」 といら立った。 「ここにいても何も分からないじゃないか。 行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。 午前2時、視察はこうして決まった。

 事故を防ぐための備えは考えられていた。 しかし、それでも起きた時にどう対応できるか。 班目委員長は 「自分の不明を恥じる」 と言ったうえで、こう述べた。 「その備えが足りなかった」



( 2011.03.13 )


< 平成23年3月12日(土)午前2時 枝野 内閣官房長官記者会見 >
共同記者  「ベントは総理視察( AM7:30頃予定 )の前か」
枝野  「はい」
共同記者  「ベントの正確な時間は?」
枝野  「東電が決めます、そう遠くないです」
枝野  「ベント前に国民に知らせるため深夜ですが急いで会見しました」
共同記者  「ベントで出る放射能の住民への影響は?」
枝野  「微量だし現時点の風向きも安心、だから総理も( ベントの後に )行くです」

《 簡単な流れ 》
3時00分原発 「 放射能ちょっと出ちゃうけど蒸気抜かせて。 今すぐ。 中がヤバイ。 許可ください! 」
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/201103122050.pdf
  
3時12分総理 「 だめだ! 明日まで待て! 私が陣頭指揮を執る! 」
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg4477.html
    圧力上がり続ける。
7時30分総理到着
( 国民 「真剣な表情だな …」 )
( 総理 「キタァ~! これで勝てる!」 )
( 国民 「さすが菅。 日本国総理大臣」 )
( 総理 「待たせたな!( キッ」 )
  
8時30分総理、飽きて帰る。
  
9時00分ベントを空け、蒸気を放出しようとするも、2つのうち1つが圧力がかかりすぎて開かない。
  
15時36分水素爆発!
★ 初期対応を行うべき一番重要な時間帯で、官邸を開け、移動時間に使った。
★ ヘリで移動中もし事故にあった場合、一番重要な時間帯で指揮系統が混乱し、今回の災害の被害がさらに拡大する可能性があった。
★ 人命救助の初期対応の一番重要な時間に、現場に受け入れ体制の負担を強いた
★ 夜間に異常に内圧の高まった一号機の ベント( 圧力解放 )作業が、菅の被ばくを避けるため、菅が官邸に帰る朝8時まで、中断されていた可能性があった。 これは、この時間の間、圧力の高まった原発容器から、原子炉建物内部に水素が漏れ、今回の爆発につながった 可能性がある。
★ 菅が安全が確保されていない状態の原子力施設に不用意に近づいたため、原子力施設は安全と言う間違ったメッセージを国民に与え、結果として、周辺の住民の避難行動が遅くなり、住民の被ばくにつながった疑いがある。
★ 菅の視察は、ヘリで飛び立つシーンやヘリの内部、ヘリから降り立つところまで、なぜかすべてカメラマンがベストポジションで映像を映しており、最初から内閣広報室を使ったパフォーマンスだった疑いがある。 当日夜間8時からの会見でも、唐突に自分が朝一番に現地で視察したことを不自然にアピールしており、視察は最初から自分の 支持率アップ目当てのパフォーマンス だった可能性が高い。



( 2011.04.07 )


 


 政府の原子力災害対策本部が、福島第1原発事故の経過を説明する首相官邸ホームページ上の公開記録で、東日本大震災翌日の3月12日に1号機の炉内の圧力を下げるため実施した 緊急措置 「ベント」 の開始時刻を、同日午後2時半から同午前10時17分に変更 していたことが6日、分かった。

 4時間余り開始時刻を早める書き換えは3月27日に行われたが、理由は説明されていない。 ベントは放射性物質を含む蒸気を排出する作業で、実際のベント開始は、午後2時に格納容器の2つ目の弁を開放した後とみられている。

 経済産業省原子力安全・保安院の広報担当者は 「当院はベント操作着手の時刻を10時17分としてきた。( 官邸ホームページは ) 『14時30分ベント開始』 となっていたため、官邸に指摘し、表記が変わった」 と説明。 10時17分が 「ベント操作着手」 でなく 「ベント開始」 となっている点については、 「官邸側に提起したい」 と述べた。
 書き換え翌日の28日、震災後初めて国会審議が行われ、野党は政府の初動対応の遅れを追及したが、保安院は 「( 書き換えと )国会審議は関係ない」 としている。





( 2011.04.09 )



1

 原発にカメラマンまで引きつれ、ベストポジションで自分の政治パフォーマンスを撮影させる菅首相。 この状況で放射能を含んだ水蒸気を放出することは素人目に見ても無理で( 事前の放出も含めて )、この視察行為自体が重大な妨害行為 であることは明らかである。




 菅直人首相( 64 )が大震災翌日、東京電力福島第1原発への視察を強行したことが、事故対応を遅らせたとの見方が強まっている。 周辺住民に退避を強い、東日本の人々を放射能の恐怖に陥れ、計画停電などで日本経済を疲弊させている責任の一端が首相自身にあるなら、万死に値する。 その他の震災対策でも批判が噴出している菅首相は最近、官邸内で孤立を深めている。

 東日本大震災当日の11日夜、経産省原子力安全・保安院は、第1原発の事故に関して、3時間以内の 「炉心溶融」 を予測した。 翌12日未明には、溶融の前段である 「炉心損傷」 を示す、放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出したため、政府専門家の間では 「即時、原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる」 との方針が決まった という。

 ところが、応急措置の実現までに、なんと半日も要した。

 この原因は、 「原子力に詳しい」 と自画自賛する菅首相が12日早朝、原子力安全委員会の班目春樹委員長とともにヘリコプターで第1原発を視察したことだという。 政府文書や複数の政府当局者らの話で判明した。

 政府原子力災害対策本部の文書によると、保安院は11日午後10時に 「福島第1( 原発 )2号機の今後のプラント状況の評価結果」 を策定した。

 これによると、炉内への注水機能停止で50分後に 「炉心露出」 が起き、12日午前0時50分には炉心溶融である 「燃料溶融」 に至るという“最悪のシナリオ”を提示。 この対策として、午前3時20分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置 「ベント」 を行う ―― としていた。 この評価結果は11日午後10時半、菅首相にも説明されていた。

 その後、2号機の原子炉圧力容器内の水位が安定したが、12日午前1時前には1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。 4時ごろには1号機の中央制御室で150マイクロシーベルトのガンマ線、5時ごろには原発正門付近でヨウ素も検出された。

 「チェルノブイリ原発事故」 「スリーマイル島事故」 を想像させる事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らがベントの必要性を確認したが、東電がベント実施を政府に通報したのは、菅首相の視察終了後の8時半で、作業着手は9時4分。 空気圧縮ボンベの不調などで時間を費やし、実際に排出が行われたのは午後2時半だった。

 与党関係者は 「菅首相の視察でベント実施の手続きが遅れた」 と説明。 政府当局者は 「ベントで現場の菅首相を被曝させられない」 との判断が働き、現場作業にも影響が出たとの見方を示した。

 政府に近い専門家は 「時間的ロスが大きい」 とし、ベントの遅れが海水注入の遅延も招いたと解説。 1号機では排出開始から約1時間後、水素爆発で同機建屋の外壁が吹き飛んだ。

 事実とすれば、菅首相の政治パフォーマンスである視察が現場を混乱させ、原発事故をより深刻にさせたといえる。 しかも、その後も被災者支援の遅れや復興財源の不透明さ、計画停電の不公平さなどが菅首相を直撃している。

 26日夜、菅首相は番記者を集めて急きょ、オフレコ懇談を開いた。 「前日、震災発生から2週間の総理会見を開いたが、あまりにも評判が悪くて、世論対策やマスコミ対策を急いだようだ」 ( 官邸筋 )という。

 たしかに、総理会見はひどかった。 今回の震災では、阪神大震災などに比べて仮設住宅建設の遅れが指摘されているが、このスケジュールについて問われた菅首相は 「大畠国交相を中心に、関係方面にその仮設住宅に使うプレハブの発注などを進めてきている。 早いところでは月内にもそういう作業が始まるのではないかと思うが ……」 と他人事のような答え。

 第1原発周辺の避難について、政府の対応が後手後手だという批判も強いが、菅首相は 「原子力安全委員会が中心となってその専門家のみなさんの分析、判断をいただいたうえで、最終的に政府として退避の指示を出している。 そういった専門家のみなさんの判断を尊重した対応で ……」 と、これまた他人任せの発言に終始した。

 震災発生直前、菅首相は外国人献金問題で窮地にあった。 この逆風を吹き飛ばすためにも、政治主導で震災対策に邁進してきたが、誰の目にも能力不足は明らか。 菅首相は、仙谷氏を官房副長官に起用したが、これが孤立化に拍車をかけたという。 官邸筋はいう。

 「菅首相は、誰にでも怒鳴るため、心ある官僚や閣僚は面従腹背となり、距離を置き始めた。 周囲は 『総理の評判がいいです』 などとゴマをする“たいこ持ち”ばかり。 仙谷氏が官邸に入り、すべてを仕切り始め、閣僚や官僚らは 『仙谷詣で』 を繰り返している。 菅首相は1人の時間が増え、ヒマな政治家や、知り合いの学者に電話をしている。 官邸スタッフは最近、 『菅首相の表情が暗い』 とヒソヒソ話をしている」

 こうした中、菅首相は27日、内閣官房参与に、原子力工学を専攻する田坂広志多摩大大学院教授を起用する方針を固めた。 大震災後、首相が内閣官房参与を起用するのは6人目だが、閣僚や官僚に相手にされない寂しさを埋めるつもりなのか。

 永田町事情通は 「与野党議員も官僚も現在は震災対策に必死だが、内心は 『菅首相にはウンザリ』 という気持ちが強い。 国家的危機なのに、内閣支持率調査の中には30%以下の危険水域を脱し切れないものもある。 このままでは、大震災や原発対策が一段落した時点で、 『菅降ろし』 が再浮上する可能性が高いのでは」 と語っている。

 自業自得ということか。





( 2011.03.30 )



 国の原子力政策の安全規制を担う原子力安全委員会の班目春樹委員長の発言に首相官邸が神経をとがらせている。

 班目氏は28日の参院予算委員会で、菅首相が東日本巨大地震発生直後の12日、東京電力福島第一原子力発電所を視察したことについて、「首相が 『原子力について少し勉強したい』 ということで同行した」 と語った。 視察が 「首相の勉強目的」 とも取れる発言だったため、野党が 「視察が初動の遅れにつながった」 と猛反発。 首相は29日の同委で、 「そういう( 勉強したいという )言葉を発した記憶はない」 と打ち消しに躍起となった。

 班目氏は22日に首相と面談した後も、「( 首相に )呼びつけられ、怒られた」 と記者団に説明、首相周辺が 「首相は怒っていない」 と“訂正”して回る一幕も。 過去にも、原子力発電所の運転差し止め訴訟の被告側証人として、「どこかで割り切らないと( 原発の )設計はできない」 と証言 したことがあり、22日の同委では 「割り切り方が正しくなく、十分反省している」 と述べた。

 班目氏は東大教授などを経て、2010年4月に原子力安全委員に任命され、互選で委員長に就任。 「ざっくばらんな性格で、偉ぶらない」 と評されている。





( 2011.03.27 )

 


 国の原子力安全委員会( 班目春樹委員長 )は25日に臨時会議を開催し、福島第一原発から20~30km圏内の屋内退避区域の住民に対して自主的に避難することが望ましいとの見解を示し、枝野官房長官は、25日の記者会見で、上記の自主避難を積極的に促すよう関係市町村に指示したことを明らかにした。

 これを報じた読売新聞が一面トップに文部科学省のSPEEDI( 緊急時迅速放射能影響予測 )システムでのシミュレーション結果を掲載した。 このデータは、原子力安全委員会が23日にプレスリリースしたもので、原発事故発生後の12日6:00AMから24日0:00AMまで連続して屋外にいたという条件で、原発周辺各地でのモニタリングデータに基づいてヨウ素の放出量を仮定し、甲状腺等価線量に基づく内部被爆量( ヨウ素の影響を最も受け易い1歳児の甲状腺の内部被爆量 )を試算した結果を示している。 このデータによると、原発の北西に位置する飯舘村や川俣町、北側の南相馬市の北部、あるいは南方向に位置するいわき市の一部など30km圏を優に越えた地域でも安定ヨウ素剤を飲む必要があるかどうかの判断の目安になる100ミリシーベルトに達する被爆量が試算されている。

 ところが、報道によると 原子力安全委は、現在の防護区域( 20km圏内は退避、20~30km圏内は屋内退避[ただし、自主退避が望ましい] )を変える必要はないという。 試算結果は 「常に屋外にいた」 という厳しい条件を仮定しており、屋内であれば被爆量は4分の1から10分の1に減じるからというのがその理由のようである。 被爆量は原発からの距離の同心円に沿って同一の値を示すのではなく、風向きや風力によって予想もしなかった地域で高くなることがあるということがこのデータからも明らかである。 アメリカ政府が日本に滞在している自国民に対して80km( 50マイル )圏外への退避を促したのは素人目にも当然のことのように思える。 飯舘村では、この発表に前後して土壌や水質汚染の問題も明らかになっており、原子力安全委の見解には首を傾げざるを得ない。 とても住民の側に立っての判断とは思えない。

 SPEEDIシステムは、原子力緊急時に国や都道府県が防護対策をとる上での画期的な手段となるものである。 文部科学省原子力安全課の 「環境防災Nネット」 のホームページの解説によるとSPEEDIシステムは既に実用に供されているものと解釈でき、国の防災基本計画( H17年7月 )でも 「国( 文部科学省 )は、 …… SPEEDI …… を平常時から適切に整備、維持する ……」 と定められている。 ところが、原子力安全委がデータを公表したのは、スピーディという名称とはほど遠い事故発生から10日以上も経過した23日である。 22日に米国原子力規制委員会( NRC )が福島第一原発からの放射性物質の拡散予測データを発表し、このデータに基づいて米国政府が日本に滞在している自国民の避難範囲を決めたことから、SPEEDIのデータを公表しない原子力安全委に批判が集中し、同委はやむを得ずデータを発表したと思われてもしかたがないタイミングであった。 しかもその内容は、原発周辺住民の被爆被害の防止活動に繋げることができる 「予測値」 ではなかった。

 23日の原子力安全委の記者会見の模様をUSTREAM( http://www.ustream.tv/recorded/13510647 )で確認してみると、班目委員長は発表が遅れた理由を 「16日から試算用の情報を収集し、20日から陸向きの風になったので試算した」 と説明し、 「システムの本来の目的である予測値が何故出せないのか」 の記者の質問に対しては 「予測のためには時々刻々と変化する原発の状況に関するデータが不可欠で、現状では東電側からの情報が不確かで予測は不可能」 だと答え、巨額の税金をつぎ込んで整備したはずのシステムが、本来の機能を全く発揮できなかった責任を東電に押し付けた。

 原子力安全委員会のホームページによると、この委員会は 「行政機関から独立した立場で原子力の安全利用のための規制についての基本的考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導する役割を担っており、内閣総理大臣を通じた関係行政機関への勧告権を有するなど、通常の審議会にはない強い権限をもっている」 という。 ところが、防護区域の見直しなどについて記者から質問が出ると班目委員長は 「それは政府が ……。 私たちは政府の指示で動いている ……」 と逃げの姿勢に終始し、中立的立場で国民の安全を守るために活動するという主体性は微塵も感じられなかった。

 この班目委員長は、経産省の原子力安全・保安院とともに原発推進派に組して、原子炉の新設・原発維持のために活躍してきた華々しい経歴の持ち主であり、その行動に対して批判的な人たちからは 「原発のセールスマン」 とか 「原発の守護神」 と呼ばれている人物である。 新潟中越沖地震での柏崎刈羽原発の事故の対策委員会では、東電側に有利な発言を次々に繰り出し、東海地震の予想震源地の中央付近に位置する静岡県御前崎市( 旧浜岡町 )の浜岡原発に対して近隣都道府県の住民が人格権に基づく運転差し止めを求めた訴訟では、並列冗長系を構成している 「非常用のディーゼル発電機が2台とも動かなくなったときは大変な事態になるのでは?」 の原告側の質問に対して 「そのような事態を想定したのでは、原発はつくれない。 割り切れなければ設計なんて出来ない」 と豪語して中部電力を擁護した。

 報道によると、22日の参議院予算委員会で社民党党首の福島みずほ氏から、 「割り切った結果が、今回( 福島第一原発 )の事故では?」 と追求された班目委員長は、漸く 「割り切り方が正しくなかった」 と反省の弁を述べる一方で、「割り切らなければ設計はできない」 という主張は頑なに曲げなかった。 そして 今回の事故は、想定を超えたものであり、想定について世界的な見直しがなされなければならない」 と、この手の学者が、自らの責任を回避するために使う常套語をしゃあしゃあと言い放った

 国の方針に反する考えを持った研究者たちが冷や飯を食わされる一方で、 この斑目委員長のような政府や大企業の御用学者が、 学会の中枢で長期に渡って力を維持する構図は、 日本の醜い面を代表するもの である。 今回の原発事故は、 班目委員長にとって、 忌まわしい過去を清算する贖罪のための絶好の機会であったはずなのに、 本人にはその機会を生かそうとする気配さえ感じられない。 御用学者の頭の中は、 築き上げた現在の地位をいかに守るかの思案で一杯 のようである。






( 2011.03.30 )

 



 この班目春樹という人は広瀬隆氏によると 「デタラメハルキ」 と呼ばれていて、過去の原子力行政でも、現在の原発震災対応でも 「A級戦犯」 とも言える人物で、現在の国の危機を招いたことへの罪の意識のかけらも感じられません。 「謝罪する気持ちはある」 この期に及んで法的責任を逃れるための方便ではないのか。 「割り切らなければ( 原発の )設計ができないことは事実。 割り切り方が正しくなかったことも、十分反省している」 …… 一番大切な安全を 「割り切った」 ことがこの惨状を …… 悔やんでも悔やみきれません。

 こういう人が原子力の 「安全」 を守る責任者であり、現在もあり続けているという救い難い現実。

 ほとんどの国民はもう気づいていると思いますが、テレビで 「専門家」 の肩書きが 「東大教授」 だったら言うことをそのまま信用してはいけません。

東電のカネに汚染した東大に騙されるな!






 


 班目春樹・原子力安全委員長は28日夜の記者会見で、東京電力福島第1原発のトレンチでみつかった高放射線量の汚染水への対応について、「どのような形ですみやかに実施できるかについて、安全委ではそれだけの知識を持ち合わせていない。 まずは事業者( 東京電力 )が解決策を示す とともに、原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」 と述べた。 首相への勧告権限も持つ専門家集団トップの発言だけに、その役割について議論を呼びそうだ。
 同委員会は原子力利用時の安全確保のために基本な考え方を示し、行政機関や事業者を指導する役割を担い、他の審議会より強い権限を持つ。 だが、班目委員長は23日に会見するまで、国民に対して見解や助言の内容などを説明することがほとんどなく批判を浴びていた。





班目委員長


 原子力安全委員会の班目春樹委員長は22日の参院予算委員会で、東日本大震災に伴う福島第1原発の事故について 「( 耐震設計が )想定を超えたものだった。 世界的な見直しがなされなければならない」 と指摘した上で 「今後の原子力安全規制行政を抜本的に見直さなければならない」 と述べ、従来の原子力安全規制を大幅に見直す考えを明らかにした。 事故については 「個人的には謝罪する気持ちはある」 と述べた。
 社民党の福島瑞穂党首が、班目氏が07年2月の中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟で、複数の非常用発電機が起動しない可能性を問われ 「そのような事態は想定しない。 想定したら原発はつくれない」 と発言したことを追及したのに対し、班目氏は 「割り切らなければ( 原発の )設計ができないことは事実。 割り切り方が正しくなかったことも、十分反省している」 と述べた。
 班目氏が東日本大震災発生直後の12日未明、菅直人首相に 「水素が発生する可能性がありますが、大丈夫です」 と説明したことについては 「( 説明で )首相の判断が甘くなったことはないと理解している」 と説明した。
 原子力安全委員会は国の安全規制について基本方針を決定し、関係省庁や東電など事業者を指導する強い権限を持つ独立機関。 班目氏は原子力工学などが専門の元東大大学院教授で、10年4月から現職。






 


 原発事故で刻々と状況が悪化する中でお目付役である原子力安全委員会は何をしていたのか。

 同委員会は原子力の安全確保のために内閣府に設けられた 「原発の監視役」 で、事故が起きれば専門家としての知見を国民に示す立場にある

 …… が、班目氏が初めて会見したのは23日の夜。 28日の会見では、建屋に溜まった高放射線量の汚染水処理について、「知識を持ち合わせていないので、東電と原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」 と答えて周囲を唖然とさせた。

 同委員会は委員長以下、委員5人はいずれも常勤の特別職公務員。 ただし、常勤といっても定例会議は週1回だけ。 議事録を確認する限り、会合は最短で10分弱、長いもので1時間半 だった。 これで約1650万円の年収( 月給93万6000円とボーナス )を貪っている。

 なお、内閣府には原子力関係予算の配分を審議する 「原子力委員会」 もあるが、こちらの委員( 常勤3人 )も同額だ。 だが、事故発生後の会議はすべて休会 となっている。 今、働かなくていつ働くのか。


■…■





班目 春樹
( 専門:流体・熱工学 )
1972.03. 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
1990.11. 東京大学工学部教授
1995.04. 東京大学大学院工学系研究科教授
2010.04. 原子力安全委員会委員( 常勤 )

久木田 豊
( 専門:原子力熱工学 )
1975.03. 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了
1990.04. 日本原子力研究所東海研究所安全性試験研究センター
1990.04. 原子炉安全工学部熱水力安全研究室長
1996.10. 名古屋大学大学院工学研究科教授
2009.04. 原子力安全委員会委員( 常勤 )

久住 静代
( 専門:放射線影響学 )
1972.03. 広島大学医学部医学科卒業
1988.05. 日米共同研究機関・放射線影響研究所臨床研究部副部長
1989.04. 広島大学原爆放射能医学研究所非常勤講師
1996.04. (財)放射線影響協会放射線疫学調査センター審議役
2004.04. 原子力安全委員会委員( 常勤 )

小山田 修
(専門:原子炉構造工学)
1970.03. 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
2002.04. (株)日立製作所技師長
2005.10. (独)日本原子力研究開発機構原子力基礎工学研究部門長
2007.10. (独)日本原子力研究開発機構原子力科学研究所所長
2009.04. 原子力安全委員会委員( 常勤 )

代谷 誠治
(専門:原子炉物理・原子炉工学)
1974.03. 京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学
1996.04. 京都大学原子炉実験所教授
1996.04. 京都大学大学院エネルギー科学研究科教授(兼任)
2003.04. 京都大学原子炉実験所長
2010.04. 原子力安全委員会委員( 常勤 )





( 2011.04.03 )



 東京電力福島第1原発の放射能漏洩事故で、復旧作業員の大量被曝に備えた自家造血幹細胞の事前採取について、内閣府の 原子力安全委員会が「不要」と判断 していたことが2日、わかった。 造血幹細胞は、被曝し、造血機能に障害が起きた際の治療に有効だとして、専門家らが事前採取の必要性を指摘している。 安全委は原子力の安全規制を担当し、基準などを首相に助言する役割を担っているが、専門家からは 「作業員の生命を軽んじている」 との批判が出ている。

 入手した安全委の内部文書によると、現時点で事前採取する必要がない理由として(1)作業員にさらなる精神的、身体的負担をかける (2)国際機関での合意がない (3)十分な国民の理解が得られていない ―― ことを挙げている。

 造血幹細胞は血液中の細胞である白血球などの源となる細胞。 骨髄などに存在する。 全身に被曝した場合、血液の細胞をつくれなくなる障害が起きるが、あらかじめ自身の造血幹細胞を採取・冷凍保存しておけば、それを移植することで造血機能が回復する。

 茨城県東海村の臨界事故( 平成11年 )では、作業員2人が他人の造血幹細胞の移植を受けたが死亡した。 だが、自分の細胞であれば合併症を防ぎ、回復も早まる。 費用の自己負担は約20万円で手術の必要もない。

 造血幹細胞の事前採取については、日本造血細胞移植学会と国立がん研究センターが提言している。 先月28日には移植医療に携わる虎の門病院( 東京都港区 )の谷口修一血液内科部長が首相官邸を訪れ、仙谷由人官房副長官に採取するよう申し入れた。 仙谷氏は理解を示し、事前採取に前向きだったという。

 今回、安全委が造血幹細胞の事前採取を 「不要」 と判断したことについて、事前採取の必要性を訴えてきた野党若手議員は 「被曝を前提とするほど危険な場所で作業していることになれば、国民の不安感や諸外国の不信感をあおることになりかねないという政治的配慮があるのではないか」 との見方を示している。





( 2011.04.30 )

 


 福島第1原発事故で、文部科学省から小中学校などの屋外活動を制限する基準値への助言を求められた国の原子力安全委員会( 班目春樹委員長 )が、正式な委員会を招集せず、助言要請から約2時間後には「妥当だ」との助言 をまとめ、回答 していたことが30日、関係者の話で分かった。

 安全委事務局は 「臨機応変の対応だった」 と反論するが、正式な委員会が開かれなかったため 議事録も作られておらず、助言までに至る議論の内容が確認できない ことも判明審議の検証ができなくなった異例の事態 に 「国の政策を追認しただけだ」 と批判の声が上がっている。

 国は、目安を一般人の年間許容限度の20倍という高さ の年間20ミリシーベルトとした根拠について国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に準拠したとしているが、子どもに高い放射線量の被ばくを認めることになるため、内外の専門家から批判が続出。 29日、内閣官房参与の小佐古敏荘・東大大学院教授が辞任する一因 ともなった。

 関係者によると、文科省などが 「年間の積算放射線量が20ミリシーベルトに達するかどうかを目安とし、毎時3.8マイクロシーベルトを学校での屋外活動の基準とする」 との原案への助言を安全委に求めたのは19日午後2時ごろ。 安全委側は正式な委員会を開かず 「委員会内部で検討し」 ( 関係者 )、午後4時ごろに 「妥当だ」 と回答した。 だが、議事録が残っていないため、安全委内部でどのような議論が行われたかは明らかではない という。

 安全委事務局は 「9日ごろに文科省から相談したいとの依頼があり、委員らが複数回議論、その都度結果を文科省に口頭で連絡していた。 正式な会議は開かなかったが、意思統一ができれば助言はできる」 とコメント。 「( 検討時間の )妥当性については発言する立場にない」 としている。

 基準の撤回を求めている環境保護団体、FoE(地球の友)ジャパンの満田夏花さんは 「独立した規制機関であるはずの安全委が、ほとんど議論もせずに国の政策を追認したことは明らかだ」 と指摘。 「子どもの健康を守るという重要な責務も、社会への説明責任もまったく果たしていない」 と批判している。





( 2011.05.02 )



 学校などでの屋外活動を制限する放射線量をめぐり、福島県内で困惑が広がっている。 「1年間に20ミリシーベルト」 という目安に対して、内閣官房参与が反発して辞任した上、原子力安全委員会が たった2時間で 「妥当」 と結論付け ていたことが分かった ためだ。 国のずさんな対応によって、県や市町村は一層対応に苦慮している。


わずか2時間

 「政府の基準で一生懸命やってきたのに、困惑してしまう。 正しい専門的な知見に基づく指示だと思って対応しているのに」
 佐藤雄平知事は1日、県災害対策本部会議で政府側の出席者を前に不快感を示した。 県議会も不信を強め、2日の災害対策本部員会議で、政府への抗議に向けた意見を集約する方針だ。
 佐藤憲保議長は 「政府内に反発した人がいるのに、原子力安全委員会がわずか2時間で決めるような基準では、県民が不安になるのも当然」 と批判。 「こんなことが繰り返されては困る。 こんな付け焼き刃の結論だったのか」 と吐き捨てた。
 内閣官房参与の小佐古敏荘東大大学院教授( 放射線安全学 )が放射線量基準の厳格化などを求めて辞任したことは、県にとっても影響が大きかった。 政府内の 「見解不統一」 を露呈し、頼りにしていた20ミリシーベルトの正当性がぐらついてしまった。


県民から苦情

 不安を訴える県民からの問い合わせも増えている。 県の窓口には 「もっと安全な基準を県独自で設定すべきだ」 「土壌を入れ替えてほしい」 といった声が寄せられている。
 県は必死で不安解消に努めるが、よりどころは政府の判断。 頼りない政府の姿に、県民の不安を抑え切れない。
 福島市教委にも、小中学生の保護者らから 「校庭や園庭の表土を早く削ってほしい。 どうして実施しないのか」 との要望や苦情が相次いでいる。 郡山市が先月27日に校庭の表土を削り取ると、 「なぜ福島市はやらないのか」 という意見が目立って増えたという。
 福島市は 「削ることは検討しているが、空気中に放射性物質が残っている状態だと、1回では済まない可能性もある。 土の処分方法も問題で、動くに動けない」 と決めかねている。
 福島市で1日あった市民団体の集会に参加した二本松市の加藤敬子さん( 36 )は 「年間20ミリシーベルトが安全だなんて全然思わない。 適当に決められて、命が軽視されているとしか思えない」 と話す。
 集会には約250人の保護者らが集まった。 3人の子どもを持つ加藤さんは 「国を動かすような、保護者同士のつながりを持ちたい」 と話していた。

[ 屋外活動制限の線量基準 ] 福島第1原発事故を受け、小中学校などの屋外活動を制限するかどうかの目安として文部科学省が示した放射線量の値。 屋外で毎時3.8マイクロシーベルト未満の場合は平常通り活動できるとした。 算定の目安となった年間の積算被ばく放射線量20ミリシーベルトは、国際機関が示した非常時の被ばく許容線量( 1~20ミリシーベルト )の上限に当たるため 「子どもに認める放射線量としては大きすぎる」 との批判が出ている。





 


 本当は危険でも、安全と言ってきた原子力村。 その住人だった彼までもが逃げ出した。 しかも、涙を流して。 ということは、どういうことなのか。 政府は慌てて、彼の口を封じた




 もう政府の発表など、いっさい信用できない ―― そう思わせる、突然の内閣官房参与辞任劇だった。
 4月29日午後6時、衆院第一議員会館の会議室で会見に臨んだ。 小佐古こさこ敏荘としそう東京大学大学院教授は、悔しさのあまり涙ぐみ、言葉に詰まりながら科学者としてのプライドを示した。
 「この数値( 校庭利用基準の年間20ミリシーベルト )を、乳児・幼児・小学生にまで求めることは、学問上の見地からのみならず …… 私は受け入れることができません。
 参与というかたちで政府の一員として容認しながら走っていった( 基準値引き上げを強行した )と取られたら私は学者として終わりです。 それ以前に自分の子どもにそういう目に遭わせるかといったら絶対嫌です」

 これまでに政府は、原子力安全委員会などの 「権威」 を背景に様々な基準値を公表し、国民に対し 「この数値以下の被曝であれば安全」 とアナウンスしてきた。
 ところが、その内閣の一員だったはずの東大教授が、政府に抗議し、参与を辞任するという。 小佐古教授が暴露したのは、政府の基準値がいかにご都合主義的に決められているか、という事実だった。 乳児、幼児をはじめ国民への健康被害よりも、原子力行政を優先しようという国の姿勢はいまだに変わっていない。
 小佐古氏は震災後、菅直人首相が相次いで参与に任命した6名の専門家のうちの1人だ。 自身も原子力工学の博士号を持ち、東京大学大学院生時代に小佐古氏に師事した空本誠喜そらもとせいき代議士が、細野豪志首相補佐官を通じて参与に推薦した。
 専門は放射線安全学。 政府が安全基準の参考にしているICRR( 国際放射線防護委員会 )の委員を砺年まで12年もの間務め、放射線被曝の安全基準値のグローバルスタンダードを決定してきた。
 枝野幸男官房長官は小佐古氏の会見の翌日、 「小佐古氏は原子炉が主に専門とうかがっている」 と弁明していたが、実際には内閣が参考にしている国際基準値を策定してきた張本人 であり、日本における放射線防護の第一人者 なのである。
 「小佐古氏はずっとチェルノブイリ原発事故の研究をしていた人。 他の参与には菅さんの母校の東工大関係者が多いのですが、放射線防護の理論では小佐古氏の右に出る人はいないでしょう」 ( 民主党関係者 )
 ところが、結果的に小佐古氏はほとんど事故対策にかかわることができなかったという。
 参与就任以来、小佐古氏と行動をともにしていた空木代議士は、分厚い報告書を示した。
 「福島第一発電所事故に対する対策について」 と題された、A4用紙100枚にも及ぶその冊子。 小佐古氏が、原子力災害を避けるため、3月16日の参与就任からおよそ1ヵ月半かけて寝る間も惜しんでまとめた渾身の報告書だ。
 しかし、この小佐古報告書にあるような提言を、官邸はことごとくないがしろにしてきた。 その上、菅首相は、自身がブレーンとして任命したにもかかわらず参与就任の際に顔を合わせた程度で、小佐古氏と原発事故についてまともに意見交換することは一度もなかった。
 小佐古氏も手をこまねいていたわけではない。 あらゆる手段で、提言実現のために動いていた。
 プラントに関する提言は細野氏に、放射線被曝に関する提言は福山哲郎官房副長官に上げることになっていた。 もともと参与就任にも関与していた細野氏に伝えた意見は採用されることもあったが、福山氏に上げた内容はまるで聞き入れられなかった。
 それでも別ルートで、原子力安全委員会にも助言を続けたが、これもほとんど無視された。 最終手段として、面識のあった班目春樹・原子力安全委員会委員長に直訴したが、にべもなかったという。




 そうしている間にも、安全基準値の上限は、ご都合主義的にどんどん引き上げられていった。
 現在、福島原発で復旧に当たっている作業員たちの被曝限度は、緊急時において年間100ミリシーベルト と震災前から決められていた。 被曝線量が100ミリシーベルトを超えると、線量に応じて、がん発症率が直線的に増えることが、広島と長崎の原爆被爆者の追跡調査から明らかになっている。 つまり、線量が2倍になればがん発症率も2倍になる。
 その上限数値を厚労省と経産省は3月15日、40年から50年前の、原爆被害の経験を生かせていない時代の考えに基づく、250ミリシーベルト という数値に急濾引き上げた。
 福島原発における作業は、現場経験のある者でないと困難で、人員の確保が難しい。 完全に行政側の都合による数値の引き上げである。
 文科省の放射線規制室が設置する放射線審議会が 「妥当」 と答申した数値ではあるが、その放射線審議会は限度策定にあたって一度も会議を招集せず、メールのやりとりのみで意見を集約し、その数値がそのまま決定事項となった。
 さらに、それでも人手が足りなくなったため、今度は 500ミリシーベルト に再引き上げしようという審議も始まっている。
 明確なビジョンがなく、国際基準も見ず、ただ問題が起きならそれに対応するだけ。 小佐古氏が 「モグラたたき的」 と批判するのもうなずけよう。
 元日本原子力学会会長で、小佐古氏と親交の深い田中俊一氏はこう小佐古氏の当時の心境を明かす。
 「小佐古氏とは昔からの友人で、参与になってからも3月末頃に一度電話しました。 そのときすでに彼は、 『( 政府が )全然言うことを聞いてくれない。 何を言っても届かない』 と嘆いていました。 私は 『首相の一番近くにいるんだからしっかりやれよ』 と言ったんですけどね。
 彼は昔から歯に衣を着せないで話す人。 広島出身で放射線対策への思い入れも強いし、相当のプレッシャーと責任を感じていたんじやないでしょうか」
 小佐古氏の参与就任に関わった空本代議士も辞任の経緯をこう話す。
 「小佐古氏は徒労感を抱いており、実は4月に入った頃から 『もう辞めたい』 と相談を受け、具体的に検討を始めていました。 結局4月27日に官邸に 『30日付で内閣官房参与を辞任したい』 と辞意を伝えに行きました」
 岡本健司秘書官には慰留されたが、その日は菅首相と会って話すという約束だけして帰った。
 しかし首相サイドからはその後も一向に連絡がない。 仕方なく期日が翌日に迫った29日、辞任届を官邸に提出し、辞意表明会見を開くに至った。
 今回の事故以前は、小佐古氏はいわゆる。 原子力村の住人と見られていた。
 「小佐古氏は私か原告側の証人に立った原爆症認定集団訴訟において、国側の証人として裁判に何度も出廷していました。
 裁判の過程でわかったことですが、彼は電力会社に頼まれ、原発の安全性についてこれまで何度も講演してきていました」 ( 沢田昭二・名古屋大学名誉教授 )
 実際'02年の5月16日、原子力安全・保安院が後援する 「原子力安全エネルギー月間」 のため、福島第一原発で所員を相手に特別講演を行っている。
 そんな人物が100枚もの報告書を叩きっけ、涙の辞任をした。 原子力村の住人でさえ黙っていられないほど、政府の放射線被害対策はお粗末だということだろう。
 しかも、小佐古氏が辞任後、記者を呼んで勉強会を開こうとすると、官邸から電話で、
 「老婆心ながら、一般の公務員と同じく、守秘義務がございますので」
 と横槍を入れられ、中止を余儀なくされた。
現在も 「守秘義務の範囲がわからない」 という理由で小佐古氏はメディア露出を控えている。




 そもそも、小佐古氏が学者生命を賭して否定した、 「校庭での放射線被曝量年間上限20ミリシーベルト」 という数値は、はたして妥当なのだろうか。
 ICRPの'07年勧告では、 「非常状況での避難参考レベル」 として1~20ミリシーベルトという範囲が示されている。 安全基準は通常この幅の中で、できるだけ低く設定するが、今回はこの範囲内の最高値。 つまり、非常状況を前提にしても最も高い数値なのだ。
 小佐古氏は会見で、 「年間20ミリシーべルト近い被曝をする人は、約8万4000人の原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。 10ミリシーベルトでさえウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でもなかなか見ることのできない数値」 とし、成人でもそうそうない被曝量であり、それを子どもに求めるのは許しがたい、とこの数値の非常識さを説明しだ。
 社団法人日本医学放射線学会の発表によれば、小学生くらいまでの子どもは大人に比べて、放射線から受ける影響が2~3倍高い。 さらに晩発性の影響を合わせればより危険性は高い。
 「政府の20ミリシーベルトという基準は、内部被曝を考慮していません。  外部被曝というのは、ガンマ線によるもの。 内部被曝はガンマ線より影響範囲は小さいがずっとエネルギーの高いべータ線やアルファ線によるもので、外部被曝より影響は深刻です。 私の試算では、内部被曝の影響は外部被曝の5倍に達する恐れがある。 もし外部被曝が20ミリシーベルトなら、内部被曝は100ミリシーベルトに達するかもしれない。 小佐古さんは、原爆症認定訴訟ではずいぶん教条的な人という印象を持っていましたが、今回は内部被曝を問題にしていて、驚きました。 裁判などを経て、彼も認識を改めたのかもしれません」 ( 矢ヶ崎克馬・琉球大学名誉教授 )
 
 


!  
朝鮮学校の無償化や日韓図書協定には熱心な高木文科相ですが、
日本の子供の健康についてはまるで無関心です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~