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( 2011.05.24 )

 



 


 3月11日の大震災による電子力発電所の事故が発生して以来、政府や東京電力は、 「炉心の溶融 = メルトダウンは起こっていない」 と繰り返してきた。

 それにもかかわらず、原発事故発生から2ヵ月経った5月中旬、福島第一原発1号機が地震発生から約5時間後にメルトダウンを起こしていたことが公表された。 さらに、2号機、3号機でもメルトダウンが起きていた可能性が高いことが明確になった。

 それに対して、国民は 「やはりそうだったか」 と感じると共に、政府・東電の情報開示に関する意識に呆れている。 海外の反応はさらに厳しい。 主要メディアの中には、 「日本は都合の悪い情報を隠したがる国」 との論調もあり、日本政府や東電の情報開示に対する意識は信用できないとの見方が強まっている。

 海外の主要メディアは、事故発生当初から、 「どこから、それほど精度の高い情報を仕入れたのだろう」 と思うほど詳細な情報を使って、原発事故の深刻さを克明に伝えてきた。 原子力関係の専門家の中には、 「原発事故の報道は、国内よりも海外メディアを見た方が実態はよくわかる」 と皮肉る声さえある。

 何故、このようなことが起きるのだろうか。

 事故発生当初は混乱状態になったため、事実の把握が遅れたことはあるかもしれない。 しかし、根の深い本質的な理由は、おそらく、政府やそれに近い企業などの 「情報に対する意識」 にあると考える。

 つまり、 「都合の悪いことは隠蔽し、結果が明らかになった段階で、 『想定外の出来事だった』 と弁明すればよい」 という意識である。

 第二次世界大戦当時、リアルタイムで戦局や戦果を発表する“大本営発表”というものがあった。 大本営とは、旧日本軍の最高機関であり、そこから発表される情報は、 「 敵艦を3隻撃破せり。 敵の戦闘機を20機撃墜 」 などの戦果の後に、必ず 「我方の損害は軽微なり」 と締めくくられていた。

 つまり、これだけ敵をやっつけた一方、日本軍の損害は小さかったということを強調していたわけだ。

 実際には、第二次世界大戦の戦局は、当初の段階こそ日本にとって有利に展開していたものの、その後戦局は悪化し、1945年に終戦を迎えることとなった。 ところが“大本営発表”では、常に、日本軍が勝利していたように伝えられていた。


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 当時を経験した人たちにヒアリングすると、 「最初は発表を鵜呑みにしていたが、そのうち何か変だと思い出し、終戦間際には 『 また気休めの発表か 』 と思った」 という。

 “大本営発表”は、都合のよいところだけ伝え、都合の悪い部分を意図的に削除してしまうという手法であり、その情報を受ける側でも、 「また、例の“大本営発表”だ」 と捉え、内容については眉につばをつけて聞いていたのだろう。

 今回の原発事故の発表が、それと同じかどうかは定かではない。 単に、政府や東電が、事実を把握することができなかっただけかも知れない。

 しかし結果的には、誤った情報を流し続け、国民から怒りを受けることになり、海外からは大きく信頼を失うことになった。

 有力メディアの記者の1人は、 「今の政府や東電の情報意識は、“大本営発表”と変わらないのではないか」 と指摘していた。



 


 そうした情報意識の背景には、おそらく2つのの要素が隠れているのだろう。

 1つは、 「できるだけ明るい情報を伝えて、人々を安心させたい」 という意識だ。 人は誰でも、悪いニュースよりもよいニュースに接したほうが心地よいに決まっている。 そのため、よいニュースを強調することによって、人々の心理状態を安定させるインセンティブが働くことだ。

 特に、日本人のメンタリティは、基本的に安定を嗜好する傾向があるため、政策当局からすれば、 「暗いニュースで国民を不安にさせたくない」 という意図が強くなるのかも知れない。

 ただし、起きていることを政策意図によって脚色したりすれば、事実を正確に伝えるという情報伝達の本来の目的を達成できないことになる。 それが続いた場合には、情報の出し手も受け手も信頼関係を失い、 「政府の発表は、どうせまた当てにはならない」 となると、情報を伝えることの意味すら怪しくなってしまう。

 もう1つの要素は、誤った情報でも相応の言い訳が通用するという意識だ。 つまり、 「誤った情報を流してしまったが、それは想定外のことが起きたためだ」 と抗弁すれば、多くの人が受け入れてくれるだろうという、一種の“甘え”だ。

 それは、 「和を以て尊し」 とする日本人のメンタリティには、ある程度通用するかもしれないが、厳格に結果責任を問う文化を持つ西欧諸国などには通用しない論理だ。 結果として、海外の人々からは、 「日本は都合の悪い情報を隠す国だ」 という印象を与えてしまう。



 


 昔、日本企業で働いていた米国人から、面白い指摘をされたことがある。 彼は、 「日本企業は、事故を起こさないようにするための努力を重要視することもあり、事故が起きたときには、それに対応するマニュアルの整備が遅れている」 と指摘していた。

 米国の企業などは、 「どれほど注意をしても、しょせん人間のすることには限界がある」 という意識を持っている。 そのため、 「確率的に何万回か、あるいは何十万回に1回は、事故が起きることは止むを得ない」 と考える。

 つまり、事故は不可抗力の産物であり、むしろ 「起きた事故にどれだけ効率よく対応できるかがポイント」 という考え方が徹底している。 そのためのマニュアル作成には、多くのコストをかける。

 物事に対する対処の手法には、それぞれに国のカルチャーなどがあり、一概に善悪の問題と決めつけることは適切ではない。 ただし、今回の原発事故を客観的に見ると、事故発生当初の段階では、政府も東電も 「自分たちの能力で対応可能」 と踏んでいたのだろう。

 ところが、軍事目的で原子力を利用するノウハウを持つ米国などから見ると、事故が拡大することは、かなり初期段階における判断が可能だった。 そのため、米国政府は、積極的に支援の手を差し伸べたのだろう。 彼らと我々のノウハウ蓄積の差は、大きかったはずだ。

 


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