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 もういいかげんに 「東電たたき」 をやめてはどうか。 たしかに、今回の福島第1原発事故については東京電力にも責任があるだろう。 しかし、そのことといま蔓延まんえんしている陰湿な東電叩きとはほとんど関係がない。

 まず、東電の 「想定外」 発言を批判して何から何まで 「人災」 だと言うのは、恐怖にあおられた短絡にすぎない。 この世の危険には確率計算できるリスクと、計算できない不確実性があって、リスクについて東電はかなりの程度まで想定していた。

 最終的に今回の事故の原因となった非常用ディーゼル発電機不起動の確率は1000分の1だったが、東電はこれを2台並列に設置して100万分の1の確率にまで低下させていた。 しかも、非常用ディーゼル発電機は頑丈で津波にもかかわらず一旦は起動したが、この非常用ディーゼル発電機のサブ冷却系が津波にやられていたためオーバーヒートして途中で停まったとの説は有力である。

 なかには、巨大な津波が来ることは分かっていたのに、低い防潮堤しかなかったため事故が起こったのだから、東電が対策を怠ったことになるという人もいる。 しかし、これまで14メートルを超えるような津波は三陸海岸のものであって、福島浜通りに来たという記録はない。 また、最近おずおずと発言を始めた地震予知学者たちも、口を揃えてマグニチュード9は想定していなかったという。 それでどうして東電がマグニチュード9によって起こる巨大津波を想定できるのだろうか。

 そもそも、たとえ東電が巨大津波を想定していたとしても、できる対策とできない対策がある。 もし想定できることはすべて予防策の対象とすべきなら、岩手、宮城、福島3県の海岸に、巨大防潮堤を建設しなかった県および政府は、あれほど多くの被災者を、最初から見捨てていたことになるのではないのか。

 東電叩きをやめろというのは、それが私たちにとって損だからでもある。 東電叩きには、東電に責任があるから政府は援助をするなとか、東電を解体しろという主張すらある。 しかし、これこそ、私たちに新たなリスクを負わせることになるだろう。

 これまでも高度な技術をもった事業体を解体したさいには、巨大なリスクが生まれた。 国鉄解体では組織内の技術が守られたかに見えたが、JR西日本では制御技術と技術者集団の継承性が損なわれて、福知山線事故という悲劇を生み出した。

 また、JALについてはいま給与体系や親方日の丸体質ばかりが論じられるが、最終的に利用者の信用を失ったのは多発した事故だった。 この場合も、半官半民から完全な民間企業への変身が強調されるあまり、整備という航空業のコアを外注してしまうことで、組織内に蓄積された安全技術が流出したからである。

 原発という技術は、現代における最先端の技術の塊のようなものであり、ことに安全を確保するための制御技術は、設計者と使用者との間の連携が失われれば機能が低下してしまう。 しかも、制御技術は組織そのものによって維持されている。 これを東電叩きに乗じた怪しげな扇動によって解体してしまえば、新たな事故を招来しないともかぎらない。 そうなってしまえば、今度こそ、東電叩きによる 「人災」 ということになるだろう。







 この国は、政府の責任を一民間企業に押しつけても、まかり通る国だったらしい。 ほかでもない、菅直人政権が慌ただしく作り上げた、東京電力の福島第1原発事故賠償スキームは錯誤の産物であり、東電叩きへの迎合策だというしかない。

 まず、少なくともいままで明らかになったことから推測できるのは、福島第1原発の一連の事故は、原発の施設・設備が、今回の巨大な地震と津波に耐えることができずに生じたものだということだ。 これは、原発を作動させるオペレーション( 操作 )のミスで起こった、旧ソ連のチェルノブイリや、アメリカのスリーマイル島における事故とは、発生においてまったく性質を異にする。

 もちろん、施設・設備の事故防止には、電力会社も細心の注意を払ってオペレーションを展開しなくてはならないが、その事故防止のための施設・設備の強度レベルを想定し、それを守らせてきたのは政府なのである。 そうでなければ、抜き打ちを含む厳格な検査を行う権利などありはしないし、また、いまのように事故の対応への指示もできないはずだろう。 つまり、今回の場合は、東電が背負える責任の範囲を超えているということなのだ。

 しかも、原子力損害賠償法においては基本的に 「原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる」 が、ただし書きがあり、その損害が 「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」 によって生じた場合には事業者は免責され、政府が責任をもって引き受けることになっている。 この 「異常で巨大な天災地変」 のレベルは、すでに専門部会で、原因において関東大震災の3倍を目安にすることが共通認識とされてきた。

 では、今回の天変地変はどの程度のレベルだったのか。 マグニチュードは対数を用いたエネルギー単位なので、今回のマグニチュード9.0は関東大震災のマグニチュード7.9の四十数倍に相当する。 また、揺れの加速度を示すガルは、今回の地震が2933ガルであり、関東大震災は400ガル程度にとどまる。

 小学生なみの計算力さえあれば、今回のレベルが 「異常に巨大」 であることは明らかだが、文部科学省は 「異常に巨大」 であるとは、大隕石が天から降ってくるような事態だと解しているらしい。 しかし、大隕石が地球にぶつかれば恐竜ですら絶滅したのだから、日本政府どころか人類も消滅してしまいかねない。 こうしてみれば今回の天変地変においては、ただし書きが適用されて、政府が全面的に賠償としてではなく救済として対処するのが当然だった。

 ところが、菅政権は誤った東電叩きの風潮に抗して道理を貫く姿勢を見せるどころか、逆にこのおぞましい風潮に便乗して人気取りに走り、あまつさえ、原発事故とは直接関係のない電力の発電・送電分離を持ち出して、さらに自ら東電解体に乗り出しているのである。

  便









 「河を渡ってゐる最中に馬を代へるな」 といふ西洋の古いことわざがあるといふ。 この 「馬」 を現首相にあてはめて、いまの時期、首相を交代させるべきではない、と言ふ人もあれば、いや、あまりの駄馬は代へるべきだと言ふ人もゐる。 首相をどうすべきかといふ判断としては後者の言ひ分に軍配が上がるであらうが、一般論として言ふならば、渡河の最中に馬を代へるなといふ論にも理がある。 すなはち、われわれが大きな困難に直面してゐるときには、わき目もふらず困難の克服に集中すべきだ、といふ教へとしてなら、これは傾聴すべき至言なのである。

 その観点からふり返ると、この2ヵ月半ほど日本中に広まつてゐる 「東電叩き」 の現象はきはめて危険 なのではないかといふ気がする。 これはほとんど、渡河の中途で自分の乗つてゐる馬をしめ殺さうとするに等しい のである。

 いまあらためて、今回の震災がわが国にもたらした困難のかたちをふり返ってみよう。 一つは言ふまでもなく大地震と大津波がひき起こした 一次災害 ( 2万3850人もの死者・行方不明者、沿岸の街や工場や漁港、農地の壊滅的な被害 )である。 これ自体、戦後最大の、文字通りの 「国難」 であり、そこからの復興には、長く困難な道のりを歩まなければならないのであるが、それを更に困難にしてゐるのが、そこから生じた 二次災害 である。 すなはち、被災した福島第1原発において、原子炉を冷却する機能が失はれ、大量の放射性物質がもれ出し飛散して、周辺が汚染された。 しかもこれは、いまだに現在進行形の危険として、周辺の人々に避難をよぎなくさせてゐるのである。




 このやうな状況において、人々の恨みや怒りが福島第1原発の所有者である東電に向かふのは、無理もないことである。 この事故は別に 東電がわざわざひき起こしたのではない。 定められたとほりの安全設備はほどこしてゐたけれども、力及ばず地震と津波にやられてしまつたのだ、などといふ話は人々の耳には入らない。 なんでもつともつと頑丈につくらなかつたのか、なんでもつと機敏に対処しなかつたのか、原発は安全だと言つてゐたではないか、あれはウソだつたのか ―― 人々は口々にさう言ひつのる。 そして心理といふ観点からすれば、それはごく自然なことなのである。地震そのものについては、人は誰を恨むこともできない。 しかし二次災害については( 当否はともかく )恨むことのできる相手が目の前にゐる。 「東電叩き」 はほとんど必然的に起こつたものと言へよう。

 しかし、現にこの二次災害を抑へるといふ課題にとつて、 「東電叩き」 は少しも役に立たない。 まさにその災害を抑へる作業にたづさはつてゐるのが、東電自体であり( 危険な現場で頑張つてゐる )東電職員なのだからであるる老エンジニアは、このさまを見てかう語つてゐる ― 「リスクのある作業に従事するには、それを皆が応援しているという心の支えが非常に重要だと思う。 現在、作業に当たっている人にそうした支えがないことが問題だ」。 つまり、福島第1原発に不安をもつ人であればあるほど、 「ガンバレ東電」 と叫ばなければならないのに、実情は逆になつてしまつてゐるのである。




 そればかりではない。 もつとはるかに実質的なところでも 「東電叩き」 の風潮は、われわれが国難を切り抜ける上での重大な障害をもたらす危険をはらんでゐる。

 ここしばらく、国会でも論じられてきたのが、福島第1原発による放射能汚染被害に対する賠償をどうするか、といふ問題である。 これについては 「原子力損害の賠償に関する法律」 といふものがあつて、かうした場合の事業者の賠償責任を定めてゐる。 しかしそこには 「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」 とつけ加へられてゐて、ごく普通に考へれば、千年に一度の大震災によつて生じた 「原子力災害」 については当然、賠償は免責されるだらうと思はれる。 ところが政府は、今回の事故はこのただし書きにはあたらないといふ判断を示し、他方で、 賠償には限度を設けないと宣言 した。

 これはどういふことかと言へば、一民間企業に、いはば無限の出費を負はせるといふことである。 たしかに政府は、この法律にも定められてゐる 「必要な援助」 を約束してゐるが、それは国会の論議次第ではいくらでも縮小しうる。 つまり政府は東電がつぶれてもよいといふ路線を走り始めてゐるのである。 またそれを歓迎する意見もあちこちに見られる。

 


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