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( 2011.05.20 )

 


 それは 「毒まんじゅう」 とささやかれてきた。 原発と引き換えに国から出る、いわゆる 「電源三法」 による 交付金のこと だ。 「安全だ」 という皮にくるんで いた。 東京に原発は無理だから、と、これを使うことで、福島県など地方に電気の多くを頼ってきた。
 原発1基で、運転開始までの10年間に 449億円 が地元に落ちる。 運転後も交付金は出る。 この制度ができて1970年代後半から各地で原発立地が進んだ。 ハコモノをつくり、維持費のために 「また原発を」 という所もあった。
 菅直人首相は今回の事故をふまえて、現在54基の原発を2030年までに14基以上増やすというエネルギー基本計画について 「白紙に戻して議論する」 ことを表明した。 原発の計画地は、大変な事態になっている。
 例えば、中国電力が09年4月に原発の準備工事に入っていた山口県上関町。 推進・反対で30年近くもめてきた過疎の町だ。 東電の事故を受けて、工事の作業を中断したままでいる。
 だが、町財政はすでに原発交付金に大きく依存。 交付金を使った温浴施設の建設が今も進んでいる。 推進派の一人は 「海がきれいだと都会のもんは言うが、それでは腹は膨らまない」 と語った。
 都会に住む私たちは、そんな実態に目を向けずに電気を使ってきた。 いや、隠されてきたのかもしれない。 私たちの電気代には、その交付金の原資が含まれる。 「電源開発促進税」 というものだ。
 政府資料によれば、東電管内の標準家庭で月の電気代約6222円のうち、約108円が徴収 される。 だが、電気代の明細書には示さない
 福島大学の清水修二副学長は、こうして都会からカネを送らせる仕組みを、故・田中角栄元首相 にちなんで 「新潟3区的発想」 と呼ぶ。 そして今回の事故が起きて 「交付金が 『毒まんじゅう』 だったことがはっきりした。もう、廃止すべきだ」 と訴える。
 この構図は海外にも広がるかもしれない。 日本と米国、モンゴルが共同して、使用済み核燃料などの国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する構想が明らかになった。 国内処分は無理だから途上国に、ということか。 高レベル放射性廃棄物の危険性がなくなるのは数万年単位の話だ。
 エネルギー基本計画の見直しでは、交付金などカネの力で、迷惑なモノを遠くに押し付ける手法も、真正面から問い直さなければなるまい。





誘惑の仕組み

  …… だから後戻りできない


  


 原発の立地には過疎地が選ばれ、“迷惑料”を支払う形で折り合いをつけてきた。 過疎化に悩む地方自治体が原発誘致によって地域振興を図ろうとしたこと自体は非難されることではない。 だが、安全神話が崩壊し、あらためて原発の巨大なリスクが顕在化した今、原発マネーに依存してしまった自治体の悩みは深い。

     *

 「東京に造れないものを造る。 造ってどんどん東京からカネを送らせるんだ」
 地元・柏崎刈羽原発についてこう熱弁を振るったのは 故・田中角栄 だった。 この言葉が日本の原発の“生きる道”を決めた。
 日本の原子力政策の嚆矢こうしは、中曽根康弘議員が原子力関連の予算を初めて提出・成立させた54年。 翌年、原子力基本法が成立し、60年代には電力会社が相次いで立地を計画する。 しかし、70年代初頭に原発反対の声が高まり、立地計画は頓挫していた。
 閉塞状況を打破したのが時の首相・田中角栄だった。 田中角栄は原発立地自治体に カネをばらまく仕掛け を作る。 それが74年に過疎地を振興する名目で成立した 「電源三法」 ( 電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法の総称 )に他ならない。
 この法律により、電力会社は販売電力量に応じて1kW時あたり37.5銭の 「電源開発促進税」 を電気料金に上乗せして国に納付する。 その額は標準家庭で年間1400円ほどだ。 主に都市部で徴収した税金を特別会計に繰り入れ、交付金として過疎地の原発自治体に還元する仕組みである。
 実際、今年度予算案では一般会計、特別会計合わせて4000億円を超える巨額の予算が原子力分野に投下される。
 原発を1基造るとどれほど儲かるのか。 資源エネルギー庁のモデルケースによると、出力135万kWの原発( 建設期間7年 )を新設する場合、環境影響評価が始まった翌年度から3年間、年5.2億円の交付金が支払われる。 交付金は4年目の着工年度に79.2億円まで一気に跳ね上がり、その後40億~80億円で推移。 運転開始までの10年間で約481億円もの莫大なカネが地元に流れこみ、50年間の総計は約1359億円というケタ外れの額になる。 さらに、運転開始後は巨額の固定資産税収がプラスされる。
 原発立地自治体はこの“打ち出の小槌”を使ってせっせとハコモノ造りに励んだ。

御前崎総合病院
 5月6日に菅首相が運転停止を要請した静岡県御前崎市の浜岡原発。 旧浜岡町( 04年に御前崎町と合併 )に原発誘致が持ち上がったのは1967年だった。 当時の財界有力者は 「泥田に金の卵をうむ鶴が舞い降りた」 と喜び勇んだ。
 地元は75年度以降、05年度までに231億円もの交付金を使い、豪勢な市立図書館 「アスパル」 や屋内・屋外利用の市民プール 「ぷるる」 などの大型施設を建設し続けた。
 御前崎市の今年度の一般会計当初予算167億8000万円のうち原発関連の交付金や固定資産税は総額71億2100万円に上る。 実に4割以上が原発マネーである。
 “アメ” はカネだけではない。
 原発は雇用を生む。 下請けなどを含めると雇用数は地域を凌駕し、福島第一原発と第二原発は地元で1万1000人を雇用した。 およそ2世帯からひとりの割合である。
 地元優遇は徹底される。 たとえば設備の拡張工事や花壇の整備、機材の納入などを地元の業者に発注。 お中元など贈答品は地元デパートに大量注文し、商店街や町内会の小さなイベントにも電力会社から“心づけ”が届く。
 福島第一原発の地元で長年反対運動を行なってきた石丸小四郎さんがいう。
 「地元の商店、住民は様々なかたちで電力会社の恩恵にあずかります。 私の地元でも東電は地元の金物屋から貴金属を購入し、ガソリンスタンドの給油まで割り振った。 原発関係者で潤い『こんなに儲かっていいの』とうそぶく飲み屋も多かった。 地元では夜な夜な地主や有力者が接待され土地譲渡などで貢献した人は東電に優先的に採用されるといわれたものです。
 こうして地元の隅々まで手を回すことで唯々諾々の“原発城下町”が作られました」
 
 多くの原発城下町では、原発の恩恵にあずかる人が増えれば増えるほど、 「ものいえば唇寒し」 の空気が広がり、反対運動は追いやられてきた。




 話はそれで終わらない。 一見バラ色の交付金だが、一度手にすれば、依存するようになり、そこから抜け出せなくなった自治体がさらなる原発誘致に動くというケースが非常に多い。 原発運転から10年までは集中的にカネが投下されるが、それ以降は交付金が大幅に減額されるのだ。 さらに法で定められた減価償却期間を過ぎると、自治体に入る固定資産税は激減する。
 当然、ハコモノでカネを浪費した行政の懐は苦しくなる。 もともと産業が乏しく他の振興策がないうえ、造ってしまった巨大施設の維持管理費がのしかかる。 ついには、“夢よもう一度”と新たな原発に思いを託すようになる。
 福島第一原発事故のお膝元である双葉町。 海岸線と農地が広がり、冬には男たちが仕事を求めて首都圏に出稼ぎに出ていた貧しい町で原発1号機の運転が始まったのは71年だった。 79年に6号機まで拡張し、人口8000人の小さな町は原発マネーで潤う。
 行政はこのカネで下水道、道路、ハコモノ造りに邁進した。 しかし、交付金や固定資産税の減少とともに財政は悪化し、90年に地方交付税交付団体に転落した。 窮地に陥った双葉町がすがったのは、やはり原発の増設だった。
 91年に町議会は全会一致で原発7、8号機の増設を決議。 東電の不祥事などで増設決議は一時凍結されたが、この間、交付金を見込んだ町は総事業費7億5000万円の双葉ステーションビルや総合運動公園を建設。 さらに30億円かけて原発増設のため4車線の町道を整備した。
 前出の石丸さんがいう。
 
 07年に増設決議の凍結を解除。 見返りに毎年9億8000万円に上る交付金を手に入れるも財政は改善されず、町は09年度決算で 「早期健全化団体」 に指定された。
 そして現在、原発立地自治体はさらに過酷な現実に直面している。 原発事故で双葉町の全住民が避難するなか、5月20日に東電は福島第一原発1~4号機の廃炉と7、8号機の増設中止を正式発表した。 原発マネーの消滅を前に井戸川克隆・双葉町長は 「将来の町づくりを進める上で二重の苦しみだ」 と本音を漏らした。
 08年に6号機の建設を発表した御前崎市も揺れる。 菅首相の停止要請を受け、石原茂雄・御前崎市長は 「なぜ浜岡だけなのか。 全面停止となれば地元経済は大変苦しい状況に陥る」 と苦境を明かす。
 実際、原発事故による新規建設の中止と原発の全面停止で御前崎市の今年度の交付金は10億円も減額される予定だ。 3000人近くの地元住民が原発に関連する仕事をするだけに、住民からは、 「原発がなくなって本当に生活できるのか」 という不安も噴出する。
 原発マネーに依存してきた結果、苦境に立たされている各自治体。 脱原発が進めばカネ、雇用、人目が減り、生活が成り立たなくなる。 放射能の脅威と現実の暮らしの狭間で無用となった小槌を手に、各自治体の苦悩が続く。







   原発立地の見返りにカネを配る。 その根拠となる電源三法は、「日本列島改造論」を唱えた田中角栄が首相として制定した。 田中の愛した故郷にも原発とともに多額の交付金が流れ込み、暮らしは確かに向上した。 その陰で自立の芽は摘まれていった。




 東京・目白の田中邸。 盛夏の夕立が門柱の表札をぬらしていた。 田中が75歳で他界してから18年。 かつて陳情客が列をなした邸宅はひっそりと静まり返り、蝉時雨だけがあたりを包んでいる。
 地元の新潟県柏崎市長の小林治助か田中邸を足しげく訪ねたのは、田中政権下の1973年のことだ。
 「電気の供給地にメリットがないのは不公平です」
 柏崎市は4年前に東京電力柏崎刈羽原発の誘致を決めたばかり。 当時は立地自治体に恩恵はなかった。 田中は 「お前が優遇策をまとめてみろ」 と応じた。
電源三法
 電源開発促進税法、特別会計に関する法律( 旧電源開発促進対策特別会計法 )、発電用施設周辺地域整備法の総称。 電気料金に含まれる電源開発促進税を財源として主に原発の立地地域に交付される。 昨年度予算の電源立地交付金は1097億円。
 原発の立地計画や建設に入れば、電気料金に上乗せした税金を財源にした交付金をもらえる ――。 小林の提案を踏まえた電源三法は74年6月に成立した。
 「新潟は雪。 中曽根のところはからっ風だ。 谷川岳を平らにすれば両方平等だ」。 田中内閣で官房長官秘書官を務めた藤井裕久( 79 )は当時、田中の大胆な発想に仰天した。 中曽根康弘( 93 )の地元・群馬と新潟の県境にある2千メートル級の谷川岳を崩そうというのだ。 藤井が 「神への冒とくじゃないですか」 と返すと、田中は 「お前みたいな東京育ちのやつにね、雪が分かるか。 雪は大変なんだぞ」 と憤慨したという。
 新潟県旧二田村の家畜商の家に生まれ、高等小学校卒業後に上京。 職を転々としながら苦学し、土建会社を立ち上げた。 「東京の人たちは嫌だと思った。( 地方は )毎日、仕事の連続だ。 そんな努力の集積を、東京の人たちは何食わぬ顔をして持っていく」 と田中は著書に書き残している。
 その思いを結実させたのが、首相就任直前の72年6月に出版した 「日本列島改造論」 だ。 東京と地方都市を高速道路と新幹線で結ぶことに加え、原発推進にも言及している。 「地元は潤すものが少なくて、公害だけが残るというのが言い分だ。 地域社会の福祉に貢献するような発電所づくりを考えないといけない」
 都会が地方を搾取する構造を逆転させたい。 田中は 「東京に作れない電気を送り、どんどん東京からカネを( 新潟に )送らせるんだ」 と支持者に力説した。
 原発による利益誘導がカネと票につながることも心得ていた。 柏崎誘致を巡る土地買収で4億円が田中に渡ったと報じられた。 田中は衆院旧新潟3区で、58年からロッキード事件をはさんで最後となる86年の選挙までトップ当選を続けた。




 日本海に臨む柏崎刈羽原発は現在7基。 出力821万キロワットは世界最大だ。 東京ドーム100個分に相当する敷地面積420万平方メートルは、柏崎市と刈羽村の海岸線の多くを占める。
 1号機が着工した78年度から30年余、柏崎市の原発関連収入は計2300億円に上り、図書館や体育館、道路が整備された。 消雪パイプの設置で初詣は車で行くことが当たり前になり、冬場の出稼ぎも減った。 田中の後援会 「越山会」 青年部長を務めた星野伊佐夫( 72 )は 「信じられない生活向上を実感した。 多少の犠牲は払っても、実際に生の収入があるんだ」 と言い切る。
 だが、柏崎市の人口はピーク時の95年から10年間で3千人減り、65歳以上の高齢化率は27%に。 交付金は原発の運転年数がかさむにつれて減り続け、老朽化で固定資産税も激減。 原発以外の産業は停滞し、市が自由に使える財源はほとんどない。 自民党青年部幹部として 「改造論」 を新潟県下で触れ回った青木太一郎( 73 )は 「今となってみれば、原発から抜け出せない、自立できない体質になってしまった」 と嘆く。
 同じ東電の原発を受け入れ、交付金の恩恵に浴してきた福島県では今、4万8千人余が故郷を追われている。





( 2011.08.01 )

 


 使用済み核燃料に再処理を施し、再び原発で使えるようにする 「核燃料サイクル」。 そのための再処理工場を誘致した六ヶ所村は原発マネーで潤う。

 1人当たりの村民所得が全国平均の5倍にも相当する年1364万円( 2008年度 )。 日本でも有数の豊かな自治体が本州最北端の下北半島にある。 大阪市よりも広い面積に約1万1000人が暮らす六ヶ所村だ。

 かつての六ヶ所村は 「日本の満州」 と揶揄されるほど貧しかった。 畜産や漁業を除けば産業もなく、冬場には東京への出稼ぎで溢れた。 そんな村が1980年代半ば、核燃料の再処理工場を誘致して生まれ変わった。

 冒頭で紹介した1人当たり所得には企業所得も含まれ、自治体の経済力の指標とされる。 六ヶ所村の経済力は、全国にわずか75しかない地方交付税の不交付団体の1つであることからも明らかだ。 村の年間予算は約130億円と、同規模の自治体の2倍以上にも達する。 確かに、村内を車で少し走るだけで、その豊かさが実感できる。

 牧場の間を高速道路並みの道路が通り、中心部には4階建ての立派な村役場、700人収容のコンサートホール、さらには縄文時代の竪穴式住居を再現した郷土館まである。 23億円を投じて全戸に設置されたテレビ電話も自慢だ。

 これらのインフラ整備も、再処理工場の誘致なしにはあり得なかった。 村の歳入の半分近い約60億円は、再処理工場や関連施設に関係している。 その中心が、工場の運営のため、東京電力など電力10社の出資で92年に設立された日本原燃という企業である。

 昨年、“反原燃”候補を大差で破って3選を果たした古川健治村長( 77歳 )が言う。

 「貧しい村の代名詞だった六ヶ所村が発展を遂げた基盤が日本原燃と関連企業。 将来も大きな柱と位置づけている」

 政府は、使用済みの核燃料に再処理を施し、再び原発で使えるようにする 「核燃料サイクル」 の実現を国策に掲げてきた。 その要となるのが再処理工場だ。 ただし、工場では原発同様、放射能漏れの危険がつきまとう。 再処理工場の誘致を巡っては、激烈な反対運動が村ではあった。 だが、そんな過去が嘘のように、今では古川村長を始め、定数18の村議会にも工場の存在に反対する者は1人もいない。

 単に税収を見込めるからではない。 日本原燃本社だけで300人近い村民を雇用。 下請け企業を含めれば 「家族の1人は原燃関係の仕事に就いている」 と言われるほど、同社丸抱えの村なのだ。 村議も多くが建設業などを営み、原燃とは持ちつ持たれつの関係にある。 原燃側も、年に一度は社員がタオル持参で全戸訪問するなどして気を配る。 村民からは 「こんな田舎で、しかも格安の値段で小林幸子や八代亜紀のコンサートが見られるのも、原燃さんが補助してくれるお陰」 ( 50代の女性 )といった感謝の声も聞かれた。


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