English
英语
영어


回顧:被災地の現実を聞こえのいい物語で覆い隠したこの国は、またとない変革のチャンスまでふいにしようとしている
 私が知る中でこの景色に一番近いものは、米ニューメキシコ州あたりの荒野だ。 だがニューメキシコの風景と、いま目の前に広がる荒れ地の間には大きな違いがある。 アメリカの荒野はもともと荒野だが、ここには3月11日まで家が軒を並べ、人々が生活を営んでいた。
 「こごにもあそごにも、ずうっと家があったんだっちゃね!」
 10月半ば、仙台からJR常磐線で南へ30分行った宮城県の亘理町。 海岸沿いを福島方面に走りながら、タクシーの運転手は地元の言葉で何度もそう言った。
 亘理町から山元町に入ると、さらに荒涼とした風景が広がる。 海岸から数キロ内に残っているのは、家の土台の跡くらいだ。
 いくらかは小さくなったという瓦蝶の山の中に、名産のイチゴを作るビニールハウスの残骸が見える。 イチゴの香りではなく、瓦傑の発するヘドロのような悪臭が鼻をつく。
 「ずうっと、この景色が続くんだ!」 と、1時間くらい走った頃に運転手が言った。 「何にも変わんね! そろそろ引き返すが! どうせ何にも変わんねん だから!」
 「何にも変わらない」 のは、東北の被災地の光景だけではない。 3.11の直後、多くの政治家やメディアはこの震災を 「未曾有の国難」 と表現した。 しかし当時の日本には、どこか高揚感のようなものがあった。
 それは、この悲劇から立ち上がったとき、日本は長く続いた低迷から抜け出せるのではないかという期待であり、そうしなくてはならないという決意だった。 「震災からの復興と日本再生に挑む強い意志を私たちが共有する限り、この惨禍を新たな改革と発展の契機にできる」 と、朝日新聞の社説は震災の2週間後にうたい上げた。
 あの高揚感はどこへ行ったのか。 「再生に挑む強い意志」 を私たちは共有しているだろうか。
 そんなはずはない。 批評家の東浩紀は 「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」 と書いたが、3.11がもたらしたものはそれだけではない。 2011年を振り返って思い出すのは、2万人近い死者・行方不明者を出した震災だけでなく、その後に噴き出したおびただしい 「物語」 だ。 当事者意識とリアリテ ィーを欠き、変化の端緒にすらなり得ない空虚なお話の集積だ。 「がんばろう日本」 「団結力」。 「絆」 そんな聞こえのいい言葉や被災地をめぐる 「美談」 が、過酷な現実を見えにくくし、被災地への関心をゆがめてしまった。 私たちは震災までも 「物語」 として消費し、今年を終えようとしている。
 3.11についてはおびただしい物語が語られた。 最初はもちろん、地震と津波による悲劇について。 次は、福島第一原発の事故とそれをめぐる混乱についてだ。
 震災とは関係がなくても、あらゆるものが震災に絡めて語られた。 今年のもう1つの大ニュースである 「なでしこジャパン」 のワールドカップ( W杯 )優勝は、被災地に元気を与える出来事とされた。
 しかし 「元気」 とは何だろう。 なでしこが世界一になれば、確かに人は心を動かされ、喜びの物語があふれる。 それでも、東北の被災地は荒れ地のままだ。
 政治・経済に目をやれば、例えば環太平洋経済連携協定( TPP )をめぐって曖昧な議論が繰り返された。 臨時国会は閣僚の問責決議に時間を使い、社会保障改革などの火急の問題に対応できずに幕を閉じた。 そこに見えるのは、3.11以前と寸分も違わない日本の姿だ。
 なぜ物語が生まれ、消費されるのか。 それは、リアリティーを欠いた人ごとだという認識があるせいだ。 震災後の現実に今も直面している人々は、それらが作り話であることを知っている。 本当の意味で寄り添うなら、私たちは当事者意識を強く持つことから始めるべきではないか。
 時代が変わるはずだった。 大震災を人ごととして、物語としてやり過ごし、 「消費」 しただけの私たちは、大きなチャンスをふいにしようとしている。 メディアが喧伝したような、復興と変革に向けて日本が動く 「ポスト3.11」 という時代はまだ来ていないし、このままではずっと来ないかもしれない。




 今年を振り返ると、まず訪れたのは 「揺れた春」 だ。 もう一度、3.11に立ち戻ってみよう。
 その日その夜は、東日本に住む誰もが、それぞれに打ちのめされていた。 首都圏では多くの 「帰宅難民」 が発生した。 東北の被災地だけでなく、首都圏の 住民も十分に被災していた。
 福島第一原発で大事故が起き、計画停電が始まった。 非常時であることを思い知らされる体験だった。 だが節電で電力需要を抑えれば何とかなることが分かり、計画停電は4月初めに事実上終了した。 以後、首都圏の住民にとって非常時の感覚は急速に薄れていった。
 一方で、1つになることを求めるある種の言葉があふれ始めた。 「がんばろう日本」 「絆」 「寄り添う」 など被災地との結び付きを強調する言葉が、せきを切ったようにあふれ出た。
 当時、非・被災地の人々の関心は地震と津波の被害より、福島第一原発の事故と放射能の問題に向いていた。 被災地の惨状ではなく、放射能が白分たちに何をもたらすかに関心の焦点が変わっていった。 そこで必要になったのが、被災地に 「寄り添い」、 「絆」 を確認する身ぶりをして、 「がんばろう日本」 と唱 える 「物語」 だった。
 だが、言葉は常套句になった途端に力を失う。 「がんばろう日本」 や 「絆」 という言葉は、今の日本が分断されていることを図らずも示した。 この国が被災地とそれ以外に分かれていることが露見してしまった。
 本当に絆があるのなら、 「被災地」 などという傍観者的な言葉は使わないはずだ。 というより、少なくとも東日本に住んでいる人たちは、多かれ少なかれ、さまざまな形で被災している。 東京都内で帰宅難民になった人は数百万人といわれるし、震災後の不安からメンタルケアが必要になった人も多い。
 何より私たちは、死者の影を抱え込んだ。 東北で失われた多くの命だけではない。 これから私たちは、福島からまき散らされた放射性物質の微粒子と共に生きることになった。
 今では各地で観測された放射線量が、降水確率と同じように新聞・テレビで毎日伝えられる。 人々は食品の放射能濃度を心配するようにもなった。 家を失っていない東日本の住民も十分に 「被災」 している。
 だったら、 「被災地」 という言葉を使うのをやめてはどうだろう。 そうすることで、この言葉が内包する 「3.11は人ごと」 という感覚を払拭できるか もしれない。 少なくとも東日本はすべて震災の影響を受けている。 多くの命が奪われた東北のことは 「震災・津波被害が甚大だった地域」 などと呼べばいい。




 復興への端緒すら見えない夏に、明るいニュースが飛び込んできた。 「なでしこジャパン」 の愛称で呼ばれるサッカー日本女子代表がW杯を制したのだ。
 大震災となでしこの優勝は、対照的な出来事のように見える。 大震災はあまりに大きな悲劇であり、なでしこのW杯制覇は日本中を沸かせた慶事だ。 しかし2つの出来事は、メディアによって強く結び付けられた。
 なでしこが優勝できたのは、 「諦めない気持ち」 と 「粘り強さ」 のたまものとされた。 決勝でアメリカに追い付いた沢穂希のゴールは 「奇跡」 と表現され、 「何か目に見えないものが彼女たちを後押ししていたようだった」 というアメリカ選手のコメントが繰り返し流された。
 なでしこの物語があふれ始めた。 これまで彼女たちが恵まれない環境の中で努力してきたことが、さまざまに語られた。
 DFの鮫島彩とFWの丸山桂里奈については、かつて東京電力に所属し、福島第一原発で働いていたことが欠かさず語られた。 DFの岩清水梓は岩手県生まれであるために 「被災地への特別な思い」 を語らされた( 生後10ヵ月で神奈川県へ転居しているが )。 なでしこたちの物語は 「配役」 まで決まっていた。
 メディアに映るなでしこは 「いま最も望まれる理想の国民像」 を示していた。 なでしこをめぐる言説は、未曾有の国難に際して日本国民がすべきことを世界の舞台で示した物語になった。 単純にサッカーがうまかっただけなのに、諦めず、粘り強く、団結心を持つ日本人の理想像へと昇華された。
 秋になると震災の話題は影を潜め、緩慢な日常が根を下ろした。 例えばTPPをめぐる議論である。 政治家は 「日本の農業が競争に耐えられるかどうか」 「食の安全を守れるかどうか」 という二元論だけで議論を続けた。 いや印象に残るのは議論より、鉢巻きを締め、こぶしを振り上げ、 「国益を守れ!」 と叫ぶ姿だ。
 だが日本にとっての国益とは、実際のところ何なのか。 国益の中身がはっきりしないから、議論が二元論に集約され、接点のない論争が果てしなく続く。 本質を忘れた議論が政界にも戻ってきたのは、3.11で芽生えたはずの 「新しい日本をつくる」 という空気が消えた証しだろう。
 11月にワンチユク国王夫妻が来日して注目されたブータンとは大違いだ。 若くて穏やかそうで、色鮮やかな民族衣装を着た国王夫妻は、一躍スター扱いされた。 しかし、ブータンには私たちが羨むべきことがもっとある。 国益が実に明確なのだ。
 ブータンの国是は、国民を精神的に豊かにし、幸福にすることだ。 そのために、国民全体の幸福度を示すGNH( 国民総幸福 )という尺度まで作った。
 人口約70万の小国だからやれることかもしれない。 そうだとしても 「私たちはこの国をどうしたいか」 という意思をこれだけ明確にできることを、ブータ ンは示している。 そのブータン人気も、日本に癒やしを与えた物語として消費されていった。




 そして冬。 12月初めに終わった臨時国会では、震災復興に向けた第3次補正予算や、復興庁を設置する法案は何とか成立した。 ただ、ここにも唖然とする事実がある。 復興庁の設立は3.11の1周年を前にした来年2月をめどにするという。
 職員が200人を超える程度の組織を立ち上げるのに、信じ難いほどの月日を要している。 「未曾有の国難」 に対処する組織をつくるのに、なぜ1年もかけられたのか。 国難と言う割には緩慢に過ぎる。
 こうして、物語まみれだった、2011年が終わろうとしている。 変革の年になるはずだったのに、あまりにも変わらない国の姿に言葉を失う。
 日本は本当に変わりたいのか。 変わろうという身ぶりをしているだけではないのか。 2万人近くが犠牲となり、数え切れないほどの人々の生活と人生が狂わされた。 それでも日本は変わらなくていいのだろうか。
 私たちに必要なのは物語ではない。 「寄り添う」 といった聞こえのいい言葉でもない。 被害が甚大だった地域に本当の関心を向けることであり、自分も当 事芦たといラ意識を持つことだ。 日本がこれから何をしたいのか、何をすべきかを、賢く明確に議論することだ。 そうすれば 「ポスト3.11」 という時代の端っこが見えてくるかもしれない。
 大方の予想どおり、 「今年の漢字」 には 「絆」 が選ばれた。 清水寺の住職が書いた美し過ぎる 「絆」 の文字。 それを映すために何十台ものテレビカメラを出す余裕がこの国にあるのなら、その人手と時間を振り向けるべき場所はいくらでもある。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~