( 2012.03.15 )


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 経済産業省原子力安全・保安院が2006年、避難準備区域の拡大など原子力施設の防災指針強化を検討していた国の原子力安全委員会に対し、 「デメリットがあり、慎重に対応すべきだ」 と 異議を唱えていた ことが15日、分かった。
 安全委に与えた影響は不明だが、指針は東京電力福島第1原発事故が起きるまで改定されなかった。 安全委は今月9日に国際原子力機関( IAEA )の基準に沿った改定案を策定したが、事故前に改定していれば5キロ圏内の住民避難が4時間半早まり、20キロ圏内の避難も早まった可能性があるという。
 保安院によると、IAEAは06年、放射性物質の放出前に5キロ圏内の住民を避難させる 「予防的防護措置区域( PAZ )」 や、避難や屋内退避、安定ヨウ素剤の予防服用などを行う30キロ圏の 「緊急時防護措置準備区域( UPZ )」 を盛り込んだ基準の原案を策定した。
 日本の防災指針では緊急時の避難準備区域は8~10キロで、安全委は改定を議論する作業部会を発足させたが、保安院は安全委事務局に対し 「原案の段階でもあり、メリットとデメリットを慎重に議論する必要がある」 などとする文書を送付。 担当者レベルでも改定に異議を唱えた。





( 2012.03.15 )

  


 原発の重大事故を想定した防災対策の国際基準を導入するため、内閣府原子力安全委員会が06年に国の原子力防災指針の見直しに着手した直後、経済産業省原子力安全・保安院 が安全委事務局に対し 「社会的混乱を引き起こす」 などと 導入を凍結するよう再三文書で要求 していたことが分かった。 結局、導入は見送られ昨年3月、東京電力福島第1原発事故が起きた。 導入していれば周辺住民の避難指示が適切に出され、被ばく人口を大幅に減らせた可能性がある。

 安全委が15日、保安院からの文書や電子メールなど関連文書を公開した。

 国の防災指針は79年の米スリーマイル島原発事故を受け、80年に策定された。 しかし原子炉格納容器が壊れて放射性物質が大量に放出されるような重大事故は 「我が国では極めて考えにくい」 として想定しなかった。

 02年、国際原子力機関( IAEA )が重大事故に対応する新たな防災対策として、住民の被ばくを最小限に抑えるため原発の半径3~5キロ圏をPAZ( 予防防護措置区域 )、30キロ圏をUPZ( 緊急防護措置区域 )に設定して効果的な対策を講じる国際基準を作成した。 欧米の原発立地国の多くが導入し、安全委も06年3月から検討を始めた。

 これに対し保安院は翌4月から6月にかけ、 「原子力安全に対する国民不安を増大する恐れがある」 「現行指針のEPZ( 防災対策重点地域、10キロ圏 )より広いUPZを設定すると財政的支援が増大する」 などと、導入凍結を求める意見を安全委事務局に文書や電子メールで送付。 安全委は07年5月、保安院の要求に応じる形で導入を見送った。

 福島第1原発事故では、地震発生から約2時間後に原子炉が冷却機能を喪失。 だが3キロ圏内の住民に避難指示が出たのはその4時間後で、10キロ圏内への避難指示は放射性物質の放出が始まった後になるなど、想定の甘さが露呈した。

 保安院が再三圧力をかけた理由について、森山善範原子力災害対策監は15日の記者会見で 「( 国際基準の )メリット、デメリットを慎重に検討する必要があった。 自治体の意見も聞く必要があり、拙速に議論すべきではないと考えた」 と釈明。 そのうえで 「当時の対応は十分でなかった。 国際的な動向を迅速に取り入れる姿勢に欠け、反省せざるを得ない」 と述べた。




 原子力事故に対応し国や自治体が策定する防災計画の前提。福島第1原発事故を受けて原子力安全委員会が見直し作業を進めており、PAZとUPZを設定する国際基準を導入する予定。放射性物質が大量放出されるような重大事故が起きた場合、UPZ内の住民は放射線量に応じて避難や屋内退避などの被ばく低減策を求められる。

保安院原子力防災課が安全委に出した意見概要 ( ※安全委が公開した文書から抜粋 )

◇ 06年4月24日

 無用な社会的混乱を回避するため、 「即時避難」 という語句を使用することは控えていただきたい

◇ 06年4月26日
 IAEAの考え方を導入した新たな原子力防災指針の検討を行うことは、中央省庁、地方公共団体のみならず地域住民にも広く浸透、定着しつつある現行防災スキーム( 計画 )を大幅に変更し、社会的な混乱を惹起し、原子力安全に対する国民不安を増大する恐れがあるため、検討を凍結していただきたい。 現行指針における原発から半径約10キロのEPZより広い原発から半径約30キロのUPZを設定すると、防災資機材などの整備を重点的に行う地域が拡大し、財政的支援が増大する のではないか

◇ 06年6月9日

 PAZの設定の趣旨は現行指針に基づくEPZの考え方に含まれている

◇ 06年6月15日

 我が国の防災対策の現状に特に問題点が見いだされない。 貴課( 管理環境課 )は本件の社会的な影響の大きさも十分に認識していなかった。 防災行政に責任をもつ当院( 保安院 )の意見、考え方を十分に確認せず、一方的に防災指針について改訂の検討を開始したことは、貴課の不注意と言わざるを得ず、誠に遺憾である





( 2012.03.16 )

 



 原発事故の防災対策強化に経済産業省原子力安全・保安院が06年に反対した問題で、当時の広瀬研吉保安院長( 現内閣府参与 )が強化に着手した内閣府原子力安全委員会の委員に対し、 「寝た子を起こすな」 と反対していた ことが16日、安全委への取材で分かった。 保安院の組織的な関与が明らかになった。

 保安院は06年5月24日、原子力政策について意見交換する定例の昼食会を安全委員長室で開催。 保安院側は広瀬氏や前院長の寺坂信昭次長( 当時 )ら、安全委側は安全委員5人らが出席した。

 出席した久住静代委員によると、広瀬氏は、安全委が06年3月に放射性物質が大量放出される重大事故に対応するため、国の原子力防災指針の見直しに着手したことについて、 「臨界事故( 茨城県東海村、99年 )を受けてせっかく防災体制がまとまった。 なぜ寝た子を起こすんだ」 と厳しい口調で批判したという

 これに、安全委側は、原発から半径3~5キロにPAZ( 予防防護措置区域 )を設定するなど、02年に国際原子力機関が定めた新たな国際基準の導入意向は変わらないと伝えた。 保安院はその後、安全委事務局に対し、文書や電子メールで導入凍結を再三要求。 結果的に導入は見送られた

 枝野幸男経産相は16日の閣議後記者会見で 「間違いなく一種の安全神話に乗った姿勢だった。 反省すべきだ」 と述べ、経緯を検証する意向を示した。





( 2012.04.24 )


退

 「組織が全く消失していた」。 内閣府原子力安全委員長、班目まだらめ春樹( 64 )は、東京電力福島第1原発事故直後の経済産業省原子力安全・保安院の対応について、 「福島原発事故独立検証委員会」 ( 民間事故調 )に聴かれ、そう言い切ったという。

 保安院には順守することを定めた4つの行動規範がある。 筆頭は 「強い使命感」 であり、こう続く。 《 常に国民の安全を第一に考えた任務遂行 》 《 緊急時における安全確保のための積極果敢な行動 》。 残り3つは 「科学的・合理的な判断」 「業務執行の透明性」 「中立性・公正性」 だ。 しかし、11年前の保安院設置時に掲げられた崇高な理念は浸透していなかった。

     

 1号機が水素爆発した昨年3月12日。 原子力災害対策本部が置かれた首相官邸は異常な雰囲気に包まれた。 飛び交う断片情報に駆け回る関係閣僚や官僚。 しかし、そこにいるべき重要な人物がいなかった。

 当時の保安院院長、寺坂信昭( 59 )だ。 原子力規制を担う組織のトップで、原災本部事務局長でもある。 彼はその前日、つまり東日本大震災発生の当日午後7時すぎ、原災本部初会合終了時には官邸を去り、保安院に戻っていた。

 「事務系の人間なので、私が残るよりも技術的により分かった人間が残った方がいいと判断した」。 今年2月15日の国会事故調査委員会で、証人として呼ばれた寺坂は、そう弁明した。 質問した委員の中央大法科大学院教授、野村修也( 50 )は 「規制行政庁のトップに原子力についての知見を持たない方がなっておられるということか」 と言葉を失った。

 保安院に戻ってからも、寺坂が官邸に電話したのは 「数回程度」 ( 寺坂 )。 規制機関のトップとして、首相の右腕となり事故対応の中心的役割を担うべき人物は全く機能しなかった。

     

 “敵前逃亡” は寺坂だけではない。 福島第1原発で勤務していた保安検査官らも同様だった。 当時、原発敷地内には保安検査官ら職員8人がいた。 平時は施設の巡視点検などを行うのが役割だが、緊急時には現場確認や本院への情報提供を行うことになっている。

 彼らは、3号機が水素爆発し、2号機でも原子炉内部の放射性物質を含む蒸気を外部に逃す 「ベント」 ができないなど、状況が悪化する中、事故から3日後の昨年3月14日午後5時には、独断で現地を離れていた。 国は現場の情報を得るチャンネルを失い、情報収集は東電に頼らざるを得ない状況が生まれた。

 保安検査官らが撤退した日は、東電が政府に 「全面撤退」 を申し入れたとされる時期と重なる。 当時の首相、菅直人( 65 )は同15日早朝に東電本店に乗り込み 「撤退はありえない」 と拒否したが、この時すでに政府側が現場から撤退していたのだ。




 原子力安全・保安院の行動規範に記された 「強い使命感」。 ある保安院幹部は 「これですよね」 と、手帳から二つ折りにされた行動規範の紙を取り出し、文面に目を落としてつぶやいた。 「情けないですよね …」

 実際、福島第1原発事故での保安院の対応は、その言葉に尽きてしまう。

 保安院は平成13年の省庁再編で発足した。 11年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故対応で、当時の規制当局だった科学技術庁の隠蔽いんぺい体質が批判され、 「日本にも原子力規制専門の組織を」 との声が高まったことなどが背景にある。

 「国民の厳しい負託の中、自分で考え判断できる自立した組織にしなければならないとの思いがあった」。 昨年8月、寺坂信昭に代わり保安院長となった深野弘行( 55 )は当時をそう振り返る。 保安院設立準備担当参事官として組織誕生に携わった一人として、自責の念を込めるように語った。 「事故への備えが不十分だった。 日本の安全水準は高いとのおごりがあり、国際的な流れに目を向けてこなかった」

     

 日本が見過ごした 「国際的な流れ」 の一つが、規制組織の改革だ。

 国際原子力機関( IAEA )前事務次長で、世界の原子力規制に詳しい東京工業大特任教授の谷口富裕( 68 )は 「世界ではチェルノブイリ事故を契機に、2000年代ごろから規制組織の独立と一元化が進められたが、日本は安全神話が妨げとなり徹底できなかった」 と話す。

 保安院は原発を推進する資源エネルギー庁とともに、経産省の下に設置されており、同一人物が 「推進側」 と 「規制側」 を人事異動で行き来することも少なくない。 また、放射線モニタリングなど一部の規制業務を文部科学省が所管するなど、規制の一元化が図られていなかった。

 このことは今年2月に公表された民間事故調の報告書も 「責任の所在が曖昧で、安全規制ガバナンスの 『無責任状態』 が生まれた」 と指摘。 十分に機能が果たせなかった背景として取り上げた。

 米国やフランスの規制組織は、特定の行政機関から完全に切り離され、大統領や議会が直接責任を持つ専門組織として存在している。 意思決定も委員が自らの責任で行うため、政治からも独立している。

 規制組織のあり方を検討する自民党プロジェクトチーム事務局長で、衆院議員の柴山昌彦( 46 )は 「独立性が担保されていれば、海水注入やベントで混乱を招いた 『菅リスク』 と呼ばれる事態は起きない。 規制組織を考える上で独立性は最も重要なポイントだ」 と話す。

     

 しかし、海外のモデルをそのまま当てはめても、必ずしも十分に機能するとはかぎらない。 日本独自の事情があるからだ。

 谷口はその例として、官僚の人事制度や専門性軽視の風潮を挙げる。 「1、2年で担当が変わる現状の制度では、専門性は身につかないし使命感も育たない」。 福島の事故で露呈した保安院の無責任な対応も、こうしたことが背景にあるという。

 日本原子力学会副会長の沢田隆( 65 )は 「最大の課題は人材をいかに確保するかだ」 と指摘する。 規制を行うには専門性の高い優秀な人材が不可欠だ。 しかし、国民の反発が根強く、エネルギー政策でも原子力の位置づけが定まらない現状では、人材が集まらずに、再び規制が形骸化する恐れがあるという。

 政府は1月、原子力規制庁の設置法案を国会に提出した。 しかし、野党は 「対策は不十分」 と反発を強めており、設置予定日の4月1日を過ぎた今も、先行きは全く見えていない。

 福島第1原発事故で、存在感を示せず非難された保安院は廃止され、業務は新設される原子力規制庁が引き継ぐ。 なぜ有事にその役割を果たせなかったのか。 保安院のあしきDNAを伝えぬためにはどうすればいいのか。
世界の主な原子力規制組織
 日本米国フランス英国
規制組織原子力安全・
保安院
原子力安全委員会原子力規制委員会
(NRC)
原子力安全局
(ASN)
原子力規制局
設置場所経済産業省内閣府独立組織独立組織労働年金省
人員約370人
(原子力規制担当のみ)
約100人
(委員は5人)
約4000人
(委員は5人)
約450人
(委員は5人)
約450人
主な特徴保安院が審査した内容を安全委が評価するという、2組織によるダブルチェック体制特定の行政機関から切り離され、5人の委員が規制や許認可を判断特定の行政機関から切り離され、5人の委員が規制や許認可を判断労働年金省の下に設置されているが、法律で独立性を確保




 


 「なぜ寝た子を起こすんだ」。 平成18年5月24日、内閣府原子力安全委員会の委員長室で開かれた意見交換の昼食会。 当時の保安院長、広瀬研吉( 63 )は経済産業省原子力安全・保安院の幹部や安全委の委員らを前にそう言った。

 安全委は同年3月、国際原子力機関( IAEA )の安全基準の見直しに合わせ、防災対策の重点地域拡大の検討を開始。 原発から半径8~10キロ圏内の重点地域を30キロ圏内に拡大し、5キロ圏内は事故時に即時避難する区域とする ― ことを柱としていた。 冒頭の広瀬の言葉は、こうした見直しを強く牽制けんせいするものだった。

 保安院側の反発は安全委側の検討開始直後から始まっていた。 「『即時避難』 という語句の使用は控えてほしい」 ( 同年4月24日 )、 「社会的混乱を惹起じゃっきし、原子力安全に対する国民不安を増大する恐れがある。 検討を凍結してほしい」 ( 同月26日 ) …。 立て続けに保安院側が安全委側に送った文書には、規制組織のものとは思えない言葉が並んでいた。

     

 重点地域の拡大は、周辺住民にとっては安全につながる対策だ。 国民の安全を守るはずの保安院がなぜ、見直しに反対したのか。

 保安院幹部は、広瀬の言葉に 「その答えが隠されている」 とし、 「『寝た子』 には2つの意味があったのだろう」 と推察した。

 当時、保安院は11年の茨城県東海村で起きたJCO臨界事故を受け、自治体の防災体制を整備したばかりで、 「ようやく整備を終えたのに、話を蒸し返すな」 という意味が一つ。 もう一つが、 「原子力に反対する勢力」 のことだという。

 原子力の歴史を振り返れば、事故やトラブルのたびに反原発運動が起きた。 それでも、地元の理解を得て原子力政策を進めようと、国と電力事業者は一体となって 「原発は安全」 と訴えてきた。 後から安全対策を講じることは、 「やはり安全ではなかった」 との批判につながりかねない。

 こうした現状について、 「福島原発事故独立検証委員会」 ( 民間事故調 )の委員長、北沢宏一( 69 )は、報告書の中で鋭く考察している。 「絶対に安全なものに、さらに安全性を高めるということは論理的にあり得ないため、 『安全性向上』 という対策が取れなくなっていった」

     

 安全対策を強化しようとすればするほど、高まる反対派の声。 保安院はいつしか、反対意見なら何でも押さえ込もうとする体質を染みつけていった。

 それは昨年発覚した、原発をめぐるシンポジウムの 「やらせ問題」 でも如実に表れた。 保安院は17~19年にかけて、4原発のシンポジウムや住民説明会で、電力社員らに住民として出席するよう促し、賛成意見を述べるように求めていた。

 18年6月の四国電力伊方原発のケースでは 「シンポジウムのキーは 『賛成派がうまく発言すること』 『反対派の怒号をどう抑えるか』 である」 という、保安院担当者の発言とされるメモの存在も発覚した。

 こうした体質は安全規制の一翼を担う安全委に対しても発揮され、防災対策地域の拡大は結局、保安院が押し切る形で見送られた。

 京大原子炉実験所教授の宇根崎博信( 49 )は 「安全性の向上に後ろ向きな保安院の姿勢は規制組織として失格だった。 いかなる反対があっても必要な安全対策はやる、という強い意識改革が必要だ」 と指摘する。 保安院と安全委などを統合し、新たに発足するはずの原子力規制庁。 看板は替わっても、 「寝た子」 をそのまま引き継ぐことに変わりはない。 いかに “遺伝” を防ぐかが重要になってくる。




 「不合格の検査記録を削除しろ」。 独立行政法人原子力安全基盤機構( JNES )の元調査役、藤原節男( 63 )は、上司の “改竄かいざん” 命令に耳を疑った。

 平成21年3月、完成したばかりの北海道電力泊原発3号機の運転前検査を担当した藤原は、北電が提出してきたある係数が重大事故を招きかねない値だとして、検査結果を不合格と判定した。 だが、上司はそれにクレームをつけたのだ。

 不合格になれば、検査を発注した原子力安全・保安院側に再検査のための余分な支出が生じる。 なによりも、 「不合格」 という記録が残ると、反原発団体などから格好の批判対象にされかねない。

 結局、藤原の抗議で記録は残され、再検査では 「条件付き合格」 との形が取られたが、藤原は今も組織への不信をぬぐえない。 「保安院の意向をうかがい、ほころびが見えないように隠そうとしたのだろう」

 保安院から原子力施設の検査業務を受託するJNESは15年、同様の業務をしていた財団法人発電設備技術検査協会など3団体の原発規制部門をまとめた形で発足した。 国家公務員の定数削減の流れの中、保安院自体が高度な専門知識を持つ人材を抱えることには限界があった。 そのサポート組織とされたJNESだが、実態はお粗末だった。

     

 昨年11月、原発の燃料を検査する際の手順書をめぐり、検査を受ける燃料加工会社が作成した手順書案を、JNESがそのまま丸写しで使っていたことが発覚した。 「検査主体としての認識が希薄だ」。 実態調査にあたった第三者委員会は、JNESの事業者依存体質を厳しく批判した。

 だが、調査報告書を受けたJNES理事長、中込良広( 68 )の言葉からは反省の念は伝わってこない。 「本質的な検査とは何か分かるのはメーカーであり、事業者かもしれない」

 こうした体質は、JNESの “親元” である保安院にも共通する。

 今年1月、福島第1原発で原子炉データを国の監視システムに送信する装置の非常用電源が未接続のまま放置されていた問題が発覚。 保安院はシステムを管理するJNESの報告を受け、 「東電が( 非常用電源の )設置場所を間違え、ケーブルが届かなかった」 と東電の失態を強調した。

 ところが、東電側は 「何度も確認したが、事前に保安院から聞いていたケーブルの長さが違っていたのが原因」 と反論し、 「保安院はJNESの報告をうのみにしただけ」 と話した。

 議論は平行線のままとなったが、ある電力幹部は指摘する。 「この問題に限らず、保安院は単独では何もできない。 こちらから 『安全対策はこうです』 と説明したことが、オウム返しで保安院から指示される」

     

 体質変化を求める声は、内部からも出始めている。 技官として通商産業省( 現経産省 )に入り、保安院原子力発電検査課長などをへて、JNESに移った西脇由弘( 58 )が業界誌 「原子力eye」 ( 休刊 )の昨年9、10月号に寄せた論考 「我が国のシビアアクシデント対策の変遷 ― 原子力規制はどこで間違ったか」 は、元保安院課長の率直な反省が語られ、注目を浴びた。

 「上級管理職も実務担当者も2~3年で交代し、知識の伝承が円滑に行われないばかりか、人の交代によって方針が変更される一貫しない規制が行われた」 「事故・トラブルによる規制強化という受け身の改正は行われてきたが、能動的な改正・改善はほとんど実施されていない」

 論考が指摘したこれらの問題を、保安院に代わる原子力規制庁がどう解消し、担保していくか。 規制庁のみならず、原発事故で崖っぷちに追い込まれている日本の原子力の将来も、ここにかかっているといっても過言ではない。


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