多くの日本人は、妄想の中に生きている。

 ひとつは、 200余りある国の上に、国連があると思っている。 江戸時代、諸藩の上に江戸幕府があったように。

 でも、日本でいうところの 「国際連合」 は、現実の国際社会では、「調整役」 でしかない。 5つの常任理事国の意見の一致がなければ、強制力のある 「国連」 としての決議はどこの国に対しても出せない。
 また、仮に国連の決議があったとしても、独立国は、それを聞き入れる義務はない。 極端な話、脱退すればそれまでである。
 6カ国協議など、北朝鮮にしてみれば、時間稼ぎの場でしかない。
 現在、中止の対象となっている核施設のほかに、こっそり核施設を作っていない、という補償はどこにもない。
 そういう意味で、北朝鮮の体制が変わらない限り、安易に経済制裁を解くのは、日本にとって危険である。
 また、国連中心主義など、普通の独立国から見れば、「日本って、変わってるね」 というほか、ないであろう。

 どうも、戦後の日本では、やたらアニメで 「地球連邦軍」 みたいなものが出てくるから、その影響で妄想に陥りやすいのだと思われる。
 ( でも、そのアニメの内容は、だいたい戦争なのだ。 )

 もうひとつは、 自分たちが軍隊を持たなければ、この日本は、戦争には巻き込まれることはない、自分たちから攻めていかなければ戦争は起こらない、という非現実的な妄想

 大陸から見れば、とるに足りないような島国でも、とりあえず領土にしようと考えた男がいた。 フビライという。 彼は朝鮮半島の属民を動員し、日本を領土の一部にしようとした。 2度侵攻したものの、台風に船団を失ったために諦めたが。

  中国が、アジアの盟主となるのに、目障りなのは日本である。 とはいえ、自ら全力で潰すほどの国でもない。
 日本人を内部で分裂させ、かつてのように朝鮮半島を利用して、そうすれば、中国自体がそれほど力を使わなくても、中国の言うことを聞く国家の一部になるまたは、中国に泣きついて、言うことを聞く国家になりはてる
 本来、自国の平和を守るためにも軍隊は必要である。
 かつて、スイスが永世中立国としていた頃は、徴兵制であり、また軍事的にも強力な訓練を行っていた。
 そのため、バチカンはその警備をスイスに依頼していたほどである。

  一国平和主義であればあるほど、強い軍隊が必要なのだ。 まあ、他国の強い軍隊に駐留してもらっていれば、その必要もないが。
 かつて琉球国は、統一がなされたとき、常備軍を廃止したらしい。 旧武士階級からも、武器をとりあげ、平和国家を目指したらしい。
 明国に朝貢したので、朝鮮半島や大陸からは責められなかったが、明国は、軍事団を派遣していなかったので、薩摩は琉球を侵略することができ、琉球国は二重支配を受けるはめになった。





( 2010.08.14 )
廃絶と切り離せない核の傘

 先日、広島、長崎は終戦65年の原爆の日を迎えた。 今年は潘基文国連事務総長、ジョン・ルース駐日米国大使、また同じ核保有国である英仏の政府代表らが、広島市の記念式典に初めて参加し、犠牲者の冥福を祈った。 例年にもまして、核兵器の災厄を世界に伝える式典になったと思われる。

 広島市や長崎市が被爆の体験を世界に伝え続けることは、世界の安全保障に大きな意義がある。 核兵器使用が何をもたらすか、その真の恐怖を知る人が増えるほど、核兵器使用の敷居が高まるからである。

 秋葉忠利広島市長は今年の平和宣言の中で、日本政府が核兵器廃絶の先頭に立つよう訴えた。 核廃絶は日本国民の心情にも、また日本の国益にも合致するものであり、私もそうあってほしいと思う。 実際、日本政府はここ数年、 「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」 という名の核軍縮決議案を国連総会に提出し、その採択に成功し続けている( 昨年は米国も賛成に転じた )。

 ただ核廃絶の実現は、一筋縄ではいかない課題である。 世界の核戦略の現状と、わが国自身の安全保障もにらんだ、現実的な進め方が必要になる。 この点、秋葉市長が 「核の傘」 からの離脱と非核三原則の法制化を政府に要請したことには少し疑問を感じた。

 前者の要請は、核廃絶を唱えながら 「核の傘」 に入っていることは矛盾ではないか、というよくある批判を意識したものだろう。 そうした批判で日本の核廃絶推進の努力を牽制けんせいする国もある。

 だがよく考えてみると、この批判はおかしい。 核が廃絶されないから 「核の傘」 が必要になるのであって、その逆ではない。 だからこの批判には、核廃絶が実現すれば 「核の傘」 はいらなくなる、と反論すればよいだろう。 それに日本が 「核の傘」 から離脱しても、それで核廃絶が進むわけではない。 むしろ核兵器が存在する中で 「核の傘」 からの離脱を宣言すれば、同盟国に頼らない自前の核抑止力を持つための動きと誤解されるおそれもある。

 後者の要請も、それで核廃絶に具体的な効果があるとは考えにくい。 核兵器を使用された唯一の国である日本が、核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない、との原則を貫くことは、核廃絶に関するわが国の道義的立場を高め、発言力を高める効果がある。 だがこれまで政治の原則としてきたものを法律にすれば、その発言力が高まる、というような国際情勢ではなかろう。

 非核三原則は、核が現に存在する時代におけるわが国の安全保障を確保したうえでの原則である。 いまはその原則を百パーセント守ることができるし、その状況が続くことを願うが、もし将来、国際情勢が急変し、わが国が危急存亡の状況に陥るようなことになれば、三原則のあり方についても高度の政治判断が必要になる。 その柔軟性が失われるようなことは避けるべきだろう。

 広島、長崎の経験は、核兵器使用の惨劇を二度と繰り返してはならぬとの戒めを人類に与えている。 核廃絶は核不使用を確実にする。 だからそれを目指すべきだが、核廃絶に至るには、65年間続いている核不使用の現状を壊さないことが大前提になる。





( 2015.04.11 )


 多くの日本人が知らぬ間に、嵐のように過ぎ去った1つの事件がある。

 大阪府警外事課は3月2日、中国籍の貿易会社代表取締役の男を逮捕した。 容疑は、男が長男の外国人登録を新規申請した際、長男は大阪市都島区に住んでいたのに、東京都江戸川区在住と偽ったという外国人登録法違反容疑である。

 この事件がにわかに注目を集めたのは、大阪府警がこの男を 「スパイ活動」 に関与していたのではないかと見た。 “別件逮捕” だったからだ。

  《 ( 男は )諜報部門を傘下に持つ中国人民解放軍総参謀部と定期的に連絡を取っていたことが( 3月 )20日、捜査関係者への取材で分かった。 同時に、軍事転用が可能な技術を持つ機械工業メーカーなど複数の日本企業関係者とも接触していたという 》 ( 産経新聞ウェブ版3月21日配信 )

 さらに記事によると、男が卒業した中国の人民解放軍系の学院は、 《 スパイ養成学校の性格が強く、外国の軍事情勢を偵察する任務を負う人材を育成していた 》 という。 男は卒業後、日本に来て大阪外国語大学( 現在の大阪大外国語学部 )で日本語を学び、10年ほど前から現在の貿易会社の代表取締役を務め、月1~2回の頻度で日中間を往来していたそうだ。

 この記事の背景には、 「捜査関係者がこれを国際問題にまで発展する大ネタだと考え、記者に情報を流したようだ」 ( 在阪の主要紙記者 )という事情がある。 産経の同日記事には、 《 警察当局は男の捜査を通じ、諜報活動の暗部に迫りたい考えだ 》 とまで書かれている。 当局の熱の入りようが伝わってくる。

 ところが、この報道からわずか2日後、事態は一転する。 大阪地検がこの男を、処分保留であっさり釈放したのだ。 地検は釈放の理由を明らかにしていないが、関係者の見方は一致している。

 スパイを取り締まる法律がないからだ。

 スパイ活動そのものに関する容疑で逮捕することができない日本では、今回の外国人登録違反容疑のような別件での逮捕でしか、容疑者を拘束できない。 その法的限界が、今回も露呈した格好だ。 3年前にも在日中国大使館の1等書記官が、警視庁公安部からスパイ活動の容疑をかけられながら法的根拠がなかったため出頭要請を無視して中国へ帰国したことがあったが、何も変わっていない。

 奇遇なことに一方の中国でもこの3月、 「スパイ」 が話題となった。 同国初の空母 「遼寧」 の写真などの軍事情報を外国人スパイに売り渡したとして、中国人男性2人が6~8年の禁固刑に処されたと報じられたのだ。

 ただしこうした中国のやリ方は、世界的に見て全く不当とは言えない。 国際社会では、他国への諜報活動を行いながら、他国からの諜報を防ぐ 「防諜」 に力を入れるのは当然のこと。 中国は当たり前のことをしているに過ぎない。 むしろ、日本国内で活動する他国のスパイやその協力者を野放しにしている日本こそが、異常なのだ。

 先の人質殺害事件を受けて、安倍政権は 「対外情報機関」 の創設に動き出したが、創設への課題は山積みだ。 しかしそれ以前に、情報機関を作って情報収集したところで、日本国内から他国へ情報が筒抜けでは何の意味もない。 情報機関の創設は、スパイを取り締まる法律の制定とセットで行う必要がある。





( 2015.09.18 )


 使

Q:そもそも集団的自衛権とは何か
A:日本は従来、「個別的自衛権」の行使しか認めてこなかった。これは敵国の軍隊が日本を侵略しようと攻め込んできた場合に、自衛隊が敵部隊を撃退することだ。これに対して「集団的自衛権」というのは、日本が直接攻撃を受けていなくても、米国など他国が攻撃を受けたとき、自衛隊が一緒に敵部隊を撃退することだ。
Q:戦争を未然に防ぐには外交努力が先では
A:日本は先の大戦から70年間、一度も戦争をしていない。今後もあってはならない。そのためには他国からの攻撃を外交努力で未然に防ぐことが重要だ。しかし、万一への「備え」は必要だ。自分の国を守れない国だとみられれば、軍事力によって現状を変更したい国の不法行為を誘発しやすくなる。しっかりした軍事面の備えがないと、外交でも相手に足元を見られかねない。
日本が平和でいられたのは「憲法9条があったからだ」と主張する人がいるが、それは現実的な見方ではない。日米同盟という存在が、日本を他国の侵略から守る強力な「抑止力」であり続けたからだ。
Q:日本を攻撃しようとしている国があるのか
A:日本の周辺では見逃してはならない危険な動きがたくさんある。
隣国の中国は、軍事費を過去10年間で3.6倍に増やして軍事大国になっている。その膨大な予算で性能の高い戦闘機や軍艦をたくさん造っている。日本の領空に戦闘機が接近したり、中国の船が尖閣諸島(沖縄県石垣市)付近への領海に入ってきたり、危険な行動を続けている。
領有権をめぐって周辺国と対立している南シナ海では、岩礁を埋め立てて“軍事拠点化”しようとしている。
北朝鮮は、日本の領土の大半を射程に入れる数百発の弾道ミサイルを持っている。核実験も繰り返していて、このままでは日本を核ミサイルで攻撃できる能力を持つのは時間の問題だ。
Q:一部の野党やマスコミは「戦争法案」と批判しているが
A:全くの間違いだ。安保関連法案のポイントは、いかに戦争を未然に防ぐかだ。
集団的自衛権の行使によって、米軍と自衛隊が互いに守り合う関係になれば信頼関係はより深まる。「日本に手を出せば世界最強の米軍が黙っていない」と思わせることで、戦争を仕掛けられる危険が減る。まさに、日本の平和と国民の安全を守るための法律だ。
Q:「米国の戦争に巻き込まれる」という指摘もある
A:その指摘も違っている。日本が集団的自衛権を行使するには、かなり厳しい条件がつけられている。安保関連法案で「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求権が根底から覆される」場合と規定されているように、日本が直接攻撃を受けることと同程度の事態にならないと、集団的自衛権は行使できないようになっている。
これは世界でも類を見ないほど厳しい条件だ。だから、米国がどこかで戦争を起こしても、日本の安全と関係なければ自衛隊が行くことはできない。
Q:例を挙げると
A:米国本土が攻撃されても、自衛隊が米国本土まで戦いに行くことはない。それは「他国防衛」に当たるからだ。だが、日本に飛んでくるかもしれない北朝鮮のミサイルを迎撃するため警戒している米艦艇が攻撃された場合は、自衛隊は米艦艇を守ることができる。
日本の安全が脅かされている事態であり、米艦艇が沈没されれば、日本がミサイル攻撃を受けるかもしれないからだ。こうした「自国防衛」に限って、集団的自衛権の行使は認められている。
そもそも自衛隊が持っている武器は、日本が攻撃を受けたときを想定しているものだ。他国まで行って空から地上を爆撃したり、大規模な地上戦を行ったりするような能力は持っていない。
Q:徴兵制につながると心配している母親たちがいる
A:安保関連法案は徴兵制とは無関係だ。政府は徴兵制を禁じる憲法解釈を堅持している。安倍晋三首相は何度も「導入はない」と明確に否定している。
自衛隊にとっても、徴兵制を導入するのは意味がない。最近ではハイテク兵器が主役だ。たくさんの教育訓練が必要で、徴兵したところで育成できない。専門性の低い大量の自衛隊員を維持する必要性も低い。
だから、米国や英国など主要7カ国(G7)はいずれも徴兵制ではなく自分の考えで軍隊に入隊する志願制を採用している。徴兵制は国際的な潮流からも逆行している。
Q:安保関連法案は憲法違反なのか
A:確かに、憲法学者でも安保関連法案を「憲法違反」だと解釈する人は多い。しかし、憲法解釈の変更は、これまでも行われてきた。戦後間もないころは、当時の吉田茂首相は「憲法9条は自衛のための戦争も否定している」という見解を国会で示していた。要は、日本が敵国に攻められても自衛すらできないという意味だ。
しかし、昭和29年に自衛隊が創設され、政府は「自衛のために必要な実力組織を持つことは憲法に違反しない」と解釈を変えている。ちなみに、今回の安全保障関連法案を違憲だという憲法学者の中には、今でも自衛隊を憲法違反だと主張している人が少なくない。
Q:野党は自衛隊のリスクは高まるといっている
A:今回の法制では自衛隊に新たな任務が加わるため、その分のリスクは増えると指摘することもできる。ただ、今でも自衛隊にはリスクの高い任務がある。自衛隊はリスクを最小化し、任務を完遂するために日々厳しい訓練を行っている。この点は法整備後も変わらない。
そもそも自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」と宣誓して入隊している。リスクは覚悟の上だ。忘れてはいけないのは、自衛官がリスクを背負うことと引き換えに、日本の平和や安全に及ぶリスクが格段に下がるということだ。
Q:安保関連法案に反対する野党が多いが、安倍首相が望むから法整備するのか
A:安倍首相が安全保障政策に意欲的なのは確かだ。でも、集団的自衛権の行使容認をめぐる議論は以前からされてきた。安倍首相は平成18年に発足した第1次政権でも、この問題に取り組んできた。
確かに民主党などは安保関連法案に反対の立場だ。岡田克也代表は6月の党首討論で「集団的自衛権はいらない」と断言したが、岡田氏や野田佳彦元首相はかつて「集団的自衛権の行使を容認すべきだ」と主張していた。
前原誠司元外相に至っては、6月の衆院平和安全法制特別委員会で質問に立ち、集団的自衛権の行使について「一部認める立場だ」と明言している。
Q:米国の核兵器も自衛隊が輸送するのか
A:自衛隊の後方支援として他国軍の弾薬や物資を輸送できるようになるが、核兵器を輸送することはない。日本は国是として非核三原則を掲げている。安倍首相も「政策的にあり得ない」と述べている。そもそも、米国が核兵器の運搬を他国に委ねることは考えにくい。「机上の空論」だ。
民主党などは安保関連法案の整備により自衛隊が核輸送する可能性を指摘するが、現行法制で核運搬を禁じる条文はない。民主党政権下でも法律上は核運搬が可能だったことになるが、それを禁止する措置を取らなかった。民主党の指摘は批判のための批判としか思えない。


     
集団的自衛権を行使できるのは国際社会の常識
日本が平和でいられたのは「憲法9条があったから」
日本周辺の危険が増している
安保関連法案は戦争するための法律だから「戦争法案」
米国が起こす戦争に自衛隊が巻き込まれる
日本が集団的自衛権を行使するにはかなり厳しい条件がある 
自衛隊が他国だ爆撃や地上戦をする
安保法案が成立すれば、徴兵制につながる
憲法解釈を変更することは許されない
自衛隊が米軍の核兵器を輸送する




( 2015.06.18 )

 

 ちょっと前の話だが、どうにも気になるので書いておく。 5月24日付朝日新聞朝刊の対談記事で、杉田敦法政大教授と長谷部恭男早稲田大教授が語っていたセリフについてだ。

 長谷部氏といえば、憲法学者( 参考人 )として招かれた衆院憲法審査会で安全保障関連法案を 「違憲」 と断じ、一躍時の人になった人物である。
杉田氏「民主主義とは、選挙で選ばれた代表による、いわば期限付きの独裁なのだ ── という安倍・橋下流の政治観が支持を広げているようです」
長谷部氏「( 前略 )戦後は、全権力が国民に移ったのだから、国民に選ばれた政治家が憲法に縛られるなんておかしいというのが 『期限付き独裁』 の発想でしょう」



 両氏は安倍晋三首相の政治観を勝手に決め付けて議論を進めていたが、 「期限付き独裁」 論は菅直人元首相が盛んに口にしていた持論である。

 いくら何でも菅氏と一緒にされたら、安倍首相もさぞ迷惑だろう。

 菅氏は副総理時代の平成22年3月、参院内閣委員会でこう答弁している。
「議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだ。 4年間なら4年間は一応任せると」
 また、菅氏は21年11月の参院内閣委では憲法の三権分立の原則も否定し、 「これまでの憲法解釈は間違っている」 とも述べている。

 そもそも 「政治主導」 を掲げた民主党政権は、学者の意見に耳を傾けるどころか野田佳彦内閣の途中まで内閣法制局長官の国会答弁すら認めず、代わりに法令解釈担当相を置いていた。
「憲法解釈を専門家の指摘も無視して、一方的に都合よく否定するという姿勢は、法の支配とは対極そのものだ」
 民主党の枝野幸男幹事長は今月11日の衆院憲法審査会でこう主張した。 とはいえ、鳩山由紀夫内閣で法令解釈担当相を務めた枝野氏は、22年6月の朝日新聞のインタビューでは 「行政における憲法の解釈は恣意しい的に変わってはいけないが、間違った解釈を是正することはあり得る」 とも語っていた。

 また、菅内閣で法令解釈担当相に就いた仙谷由人元官房長官も就任時の記者会見でこう明言している。
「憲法解釈は政治性を帯びざるを得ない。 その時点で内閣が責任を持った憲法解釈を国民、国会に提示するのが最も妥当な道だ」
 だが当時、憲法学者らが民主党政権への危機感に駆られ、強い批判の声を上げたという事例は、寡聞にして知らない。 メディアもおおむね民主党政権の 「政治主導」 には優しかった。

 現在、国会では安倍首相や中谷げん防衛相らの答弁が 「長すぎる」 「全く質問に答えていない」 などと非難を浴び、国会対策上の駆け引きなどで野党が審議拒否を行うこともたびたびだ。 そうした光景を眺めると、つい数年前の国会を思い出してかえって 「牧歌的だな」 とすら感じる。




 菅内閣は22年10月、閣僚が国会で虚偽答弁を行った場合の政治的・道義的責任について質問主意書で問われて、こんな答弁書を閣議決定したのだった。
「内容いかんによる」
 つまり、閣僚が国権の最高機関たる国会で堂々と嘘をついても、必ずしも問題ではないということを、当時の菅首相と全閣僚が署名して決めたのである

 





( 2015.09.29 )

     し!



    



 安保法制は混乱のうちに成立した。 審議過程で民主党をはじめとした廃案志向の野党が多発した中に、 「歯止めがないじゃないか」 という発言があった。

 しかし、この発言には矛盾がある。 歯止めを利かすのは自分たちが属する国会と政府による 「文民統制」、すなわちシビリアン・コントロールであるということを忘れた発言であるからだ。

 特に民主党は政権を執ったことがあるにもかかわらずシビリアン・コントロールを信頼していないかあるいはシビリアン・コントロールについて深く考えていないことを告白したような言動で政権担当の資格を自ら放棄したに等しかった





 平成27年9月19日付 「産経抄」 に良い記事があった。 ニーチェの言葉だそうであるが 「狂気は個人にあっては稀有なことである。 しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」 というのである。

 言うまでもなく、9月17日の参院特別委での採決時の混乱を説明するに当って引用されたものである。 採決、あるいは採決に至る過程における意見発表などにおいて、民主党がしばしば採った暴力を含むルール無視の行動を指している。

 民主主義の模範を示すべき国会がこれでは、今後、どんな暴力が出てきてもおかしくない。 議論の末に多数決で決めるのは民主主義の基本中の基本ではないだろうか。

 「議論が尽くされていない」 という世論調査の結果を踏まえた、さらには自分たちの廃案志向が重なっての採決反対であろうが、ここには大きな矛盾があった。

 審議を尽くさなかったというのは野党自身が仕かけたことであったからである。 議員数に基づく委員会の構成では与党が断然多かった。 しかし、戦後日本のあり方をがらりと変えかねない重要法案であることから、衆院では野党に9割の質問時間が充当された。

 ところが 「これほど分かりにくい法案である」 ということを強調したい野党は、国民になぜ法案が必要になっているか、( 今後 )数次の国会審議を待たずになぜ今なのか、すなわち国家と国民のリスクが異常に高まっており、明日では覚束ないという基本的なことにはほとんど触れようとしなかった。

 「地球の裏側まで行くことになる」、 「アメリカの戦争に巻きこまれる」、 「自衛隊員のリスクが増える」、 「徴兵制になる」 などなど、日本の安全に無関心かつ無責任な憲法学者の 「違憲法案」 という声を背景に、国民がパニックを起こすようなことばかりを喧伝する方法を採った。

 「日本の防衛」 という大前提を忘れたかのような暴論に持って行き、またシビリアン・コントロールがしっかり機能してきた自衛隊の歴史を一顧だにしない、議会人とも思えない発言ばかりが目立った。

 参院与党は、野党への温情が国民に混迷をもたらすことを再び危惧したが、国民の理解を深めたいという強い願望から、ここでも野党に譲歩して6割の質問時間を割り当てた。

 与党の質問は中国や北朝鮮の軍事増強と当該国の内政の混乱が日本にもたらす危険性などに触れ、主として法案の必要性の議論であった。 しかし、野党はここでも違憲問題と法的整合性や、行動の範囲などを限定して 「歯止め」 を求めることなどを迫った。

 首相や防衛大臣が 「新三条件に基づき、総合的に判断する」 と答弁すると、発言に満足しない野党は、 「どこまで拡大するか分からない」 「首相次第ではないか」 などと詰め寄った。

 法案の審議をよそに国民に不安をまき散らし、 「時々の政府で、判断でぐるぐる変わる」 などとアピールする方法は、正しく狂気の政党としか言いようがない。




 満州事変から中華事変への流れを見ていると、軍が投入され、政府が追認するというパターンが処々に見られた。 今日言うところのシビリアン・コントロールが機能していなかったのである。

 戦前における軍の行動は、表向き 「好戦的」 という見方もできようが、必ずしもそうとばかりは言えない面があった。 それは、当時の法体制に問題があったからである。

 戦前の政軍関係は、今日の状況とは根本的に異なっていた。明治憲法第11条に 「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」 とあるように、軍は参謀総長および軍令部長を通して天皇に直結していた。 いわゆる軍の行動に関わる軍令事項は、 「統帥権の独立」 と称されたように、政府のコントロール下にはなかった。

 政府の一員であった陸軍大臣と海軍大臣は予算や人事などの軍政権を握っていたが、軍の直接的な行動には関与できなかった。 さらには、軍部大臣武官制を採っており、政府の施策を軍が好まない場合は、最大の抵抗として陸・海軍大臣を出さないで、組閣させない、あるいは倒閣に持っていくことも可能であった。

 軍が政府に関わりなく独走しないために、東条英機首相は陸軍大臣ばかりか、参謀総長までも一時的に兼務したことがある。 軍部独裁とも言われるようになる統帥権の独立は、明治憲法11条によって保証されていたのである。

 鈴木貫太郎内閣は終戦を目指すが、軍部が反発して大臣を出されなければ政府が瓦解して、終戦交渉などは全然進められない。 そこで、軍部の要望である 「決戦」 を表向き標榜しながらも、腹芸で終戦の交渉を進めるよりほかはなかった。

 翻って、今日の自衛隊の行動に、統帥権独立に匹敵するような法的根拠があるというのだろうか。 自衛隊の存在さえ違憲だという憲法学者も多い中で、自衛隊が動ける範囲は雁字搦めにされている。

 政治による命令・指示がなければ、1人の隊員も動かせない法体制下にある。 こうした状況下で、政府が、自衛隊の行動を簡単に容認するとでも言うのだろうか。

 政権を握ったことのある民主党のシビリアン・コントロール理解は余りにも不自然であり、幼稚ではなかろうか。a




 自衛隊の海外派遣が始まって23年が経過した。 カンボジアに派遣された部隊の任務は 「道路や橋梁の修復等」 であり、移動途中に負傷者がいても 「任務に無い」 というので救助してやれなかった。

 その後、現地が大洪水に見舞われ、応急復旧のための資材運搬を州知事から要請されるが、 「輸送」 は任務にないとうことで断る以外になく、派遣隊員たちをして 「我々は何の為に、誰のために来たのか」 と悔しがらせたこともしばしばあったと仄聞した。

 他の海外派遣でも、深い穴に落ちた子供の救助に手出しができないなど、 「与えられた任務」 からはみ出すということで、能力を有しながらも、手出しできず、悔しさだけが積み重なっていたと聞いた。

 現地指揮官には 「助けたい」 「支援したい」 という強力な願望があっても、手出しをすれば、昵懇であった記者などに 「任務違反」 で報告しますよと言われては、二進も三進もできない。 現に依頼された簡単なことをやったばかりに、命令違反として問題化したことも報告されている。

 現地にやって来た国連の関係職員が宿泊や給食を依頼してきたときも、上級司令部に問い合わせ、さらに陸上幕僚監部が政府や国連の関係部署と調整するなど、自衛隊は法令に厳格に従うことを学んできたし、実行してきた。

 自衛隊の海外活動は平和維持や人道復興支援、災害救助などであり、混乱を助長したり、紛争に仕立て拡大するためではない。 しかし、付与された目的への過程において、人命救助や輸送支援などがあっても任務の許容範囲と解する柔軟性がなければ、派遣隊員の士気にも影響を与える。




 今回の安保法案審議に於いて、ほとんど議論されることはなかったが、行動の制約をなるべく受けないように留意した答弁をしていたように感得した。 従来の 「○○はやってよい」 という任務付与方式では自衛隊が十分に期待に応えられなかったという反省があったからに違いない。

 例えば、ホルムズ海峡の機雷除去を列挙したとすれば、それは典型的なポジリスト方式である。 日本の輸送路が絶たれ、日本の存立危機事態が起きるのは、何もホルムズ海峡の機雷だけとは限らない。 どこで、何が発生するかなど、あらかじめ分かったものではないからである。

 もちろんシミュレーションや演習などで、かなり現実に近い想定を立てることは、誰もが行ってきたことであろうが、現実にはそうした想定にない裏をかく、いわゆる 「想定外」 が故意にも偶然にも頻出することになる。

 現地指揮官が臨機応変に対応するとしても、指揮官には想定内のことしか許されていなければ任務達成はできないし、挙句、自分たちの存続さえ危殆に瀕することに成り兼ねない。

 こうした観点から、軍隊への命令付与は、日本を除くすべてが 「××はやってはいけない」 というネガティブ方式で行われている。 「××」 は人道にもとることや国際条約・国際慣習法に反するようなことであり、指揮官は持てる力を存分に発揮することができる。

 これまでの 「○○はやっていい」 という形の任務付与方式では、問題があり過ぎたことを縷々説明した。 雁字搦めの任務付与は派遣部隊の柔軟性を奪う。 部隊の行動には 「想定外」 が付き物である。

 今次の安保法制は、例えば 「自衛隊の任務」 では、従来あった 「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛する」 から 「直接侵略及び間接侵略に対し」 が削除され、直接・間接侵略以外の事象、例えばテロなどに対しても対処する柔軟性を持たせている。

 このように、 「直接侵略及び間接侵略に対し」 を削除しポジリストでないようにしたことから、自衛隊の任務は当然多様化するが、迅速に対処する態勢をとることができるようになる。

 この意味で、今次の安保法制はネガリスト方式への一里塚とも見ることができよう。




 戦後の日本には、統帥権の独立のようなものは一切ない。 それにもかかわらず、自衛隊の独走を恐れるあまり、自衛隊が軍事的合理性を以って独自に決めればいいことまで、シビリアン・コントロールの名で決め過ぎてきた。 そうした典型が、携行する機関銃が1丁か2丁かなどであった。

 もっとすごいのは、国の安全を守り国民の安心を担保しようとする自衛隊を憲法違反とさえ断じる憲法学者が多数いることである

 戦前であれば、文句なしに若手将校たちが立ち上がり、 「怪しからん連中だ」 とか、 「国を守る組織の名誉を踏みにじるのも甚だしい」 などと称して、 「総括」 されかねないであろう。

 しかし、戦後の日本では心配無用である。 シビリアン・コントロールが利き過ぎた民主主義国家である。 「税金泥棒」 などと悪態をつかれても、しっかりシビリアン・コントロールに従ってきた自衛隊である。

 このように根づいたシビリアン・コントロールがあたかも有効でないかのように民主党は 「自衛隊の暴走」 を言い募った野党議員たちが自らシビリアン・コントロールを信頼せず蔑ろにする 「狂気」 の集団に化しつつあることではないだろうか




( 2015.10.03 )


 民主党は、やぶをつついて蛇を出してしまった。 ジャーナリストの櫻井よしこさんがNHK番組で岡田克也代表らについて述べた発言に撤回と謝罪を求める質問状を送り、手厳しい反論をくらったのである。 かえって自分たちの無定見ぶりをさらす結果となった。

 櫻井さんが、 「集団的自衛権の行使はいらない」 と言った岡田氏について 「180度の転換」 と指摘したことについて、民主党は 「誤解を与える」 と抗議した。 だが、岡田氏はかつて、明言はしないものの集団的自衛権の行使容認とも受け取れる発言を繰り返している。

 民主党は、岡田氏は集団的自衛権行使に関し未来永劫えいごう、すべて否定するようなイデオロギー的な考えはとっておらず、 「180度の転換」 は誤りだと再質問したが、 「170度」 か 「175度」 ならばよかったのか。 曖昧模糊もことしている。

 そもそも民主党内にも、行使容認論者は少なくない。 野田佳彦元首相は著書で 「やはり認めるべきだ」 と明言する。 玄葉光一郎元外相は平成25年11月のシンポジウムで赤裸々に本音を述べていた。 「( 憲法 )解釈見直しは、自民党政権のうちにきちっとやってほしい」。

 前原誠司元外相や長島昭久元防衛副大臣も行使容認派だ。 今回の安全保障関連法の審議での奇観は、こうした人たちが、積極的に声を上げたり、感情論にとらわれた同僚議員らをたしなめたりする場面がほとんどなかったことだ。

 結局、安保関連法を憲法違反だと批判するためには、内なる行使容認論は都合が悪く、引っ込めざるをえなかったのだろう。 民主党は今夏、流動的で急変する国際環境に向き合う安保政策の選択肢を失った。 このまま硬直化して旧社会党化するようでは、二度と政権は担えまい。




( 2015.05.10 )

  西




 共産党など、護憲を叫ぶ人々は、 「憲法第9条は世界の宝」 と言う。 では問いたい。 。 共産党である。 当時、共産党は第9条を 「一個の空文」 であると批判し、 「民族独立のため反対しなければならない」 と啖呵たんかを切っていた。 反対の最大の理由は、自衛戦争まで吉田茂首相( 当時 )が否定していたからである。 実に的確な批判だった。 本書が指摘するように、共産党は 「自衛戦争と積極的平和主義を肯定していた」 のである。

 それがいまや護憲派なのである。 共産党は護憲派への大転換を 「吉田首相が、当初、自衛権まで否定していたが、その後、自衛権があることを認めた」 からだと釈明している。 大嘘である。 1985年版 『日本共産党の政策』 には 「憲法上の措置( 第9条の改正 )がとられた場合には、核兵器の保有は認めず、徴兵制は取らず志願制」 とすると明記している。 94年7月の第20回党大会までは、第9条の改正を公然と掲げていたのだ。

 憲法を字面じづらだけで解釈してはならない、とは本書が強調するところだ。 護憲派の人々は、ほとんどこの字面解釈なのだ。 だから自衛隊を 「憲法違反の軍隊」 というのである。 “護憲派の憲法知らず” と批判する所以ゆえんである。
 現憲法の骨格となったマッカーサーが示した原則では、当初、 「自己の安全を保持するための戦争」 も放棄することが明記されることになっていた。 だがこれでは、どの国家にもある 「自己保存の権利」 も奪うことになるため採用されなかった。 自衛軍は持てるということだ。 護憲派は、自衛隊は憲法違反だと言い、日米安保にも反対だと言う。 要するに “丸腰日本” というのが彼らの主張である。 その無責任さは、実は護憲派も分かっている。 だから即時自衛隊解体、安保廃棄とは叫べないのである。 こんな無責任を放置しないためにも第9条をすっきり改正することが重要なのである。 どうやって国を守るのか、その回答を持たない護憲派の最大の泣きどころこそ第9条なのである。





( 2015.07.09 )

  


 共産党の不破哲三前議長が7日、約4年ぶりにテレビ番組( BS11 )に出演して気を吐いていた。 老いてますます盛んなのはけっこうだが、その憲法論には得心がいかなかった。

 集団的自衛権を限定容認する安全保障関連法案に関する違憲論をめぐり、司会者に 「共産党は厳格に今の憲法を守る立場か」 と聞かれた不破氏は 「はい」 と答え、こう続けた。
「憲法には国際紛争の解決の手段として武力放棄と書いてある。 いくら解釈を持ち出しても、絶対に乗り越えられない壁だ」
 だが、果たして共産党はこれまで、憲法やその解釈をそんなに大事にする立場をとってきただろうか。

 共産党の野坂参三元議長は昭和21年8月、政府提出の 「帝国憲法改正案」 に対して各党が最終態度表明を行った衆院本会議で、憲法9条についてこう反対の論陣を張っていた。
「( 国際的に不安定な状態にある )現在の日本にとってこれは一個の空文にすぎない。 わが国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」
 共産党のナンバー4である政策委員長を務め、後に決別した筆坂秀世氏の近著 『日本共産党と中韓 左から右へ大転換してわかったこと』 によると、共産党は一貫して改憲政党だった

 また、共産党は現在も自衛隊を憲法違反の軍隊と位置づけているが、これは自衛隊は合憲とする政府の憲法解釈と全く異なる。 政府解釈と正反対の見解を掲げる政党が、集団的自衛権をめぐる従来の政府解釈に限って 「順守しろ」 と言っても説得力に乏しい。

 筆坂氏は著書でこう厳しく指摘している。
「( 共産党は )自衛隊解消までに、もし急迫不正の侵害があったなら、共産党が与党ならば自衛隊を活用するが、与党でなければ活用しないという支離滅裂な方針を掲げている」
 さらに共産党は、天皇に関しても 「憲法解釈を見直した」 ( 筆坂氏 )。 当初は天皇条項は 「君主制」 だとして現憲法の反動的条項と決め付け、 「天皇制打倒」 を主張してきたのに、国民に受け入れられないとみると 「政治的権能を持たないから君主制とはいえず、打倒の対象とする必要もない」 と憲法解釈を変えた。

 共産党は現在、 「安全保障環境の変化だけ振りかざして憲法解釈を百八十度変えることは立憲主義に反する」 ( 井上哲士参院国対委員長 )と政府・与党を批判している。 だが、共産党自身が国際環境や時代の変化に合わせて柔軟に憲法解釈を変更してきたのだ。

 そもそも、憲法9条をめぐっては、すでに政府解釈の一大転換がなされている。 吉田茂首相( 当時 )は21年6月の衆院本会議で、 「侵略された国が自国を守るための戦争は正しい戦争」 と主張する野坂氏に対し、こう明言していた。
「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときを認むることが有害であると思う。 ご意見のごときは有害無益の議論と考える」
 つまり政府は当初、憲法解釈上、自衛戦争そのものも否定していたのだ。 それが警察予備隊( 25年創設 )、保安隊( 27年設置 )、自衛隊( 29年発足 ) … と国際環境の変化に基づく現実社会の要請を受ける中で、明らかに変わっていったのである。

 今さら、政府解釈を少しでも変えることはまかりならぬといわれても、ちゃんちゃらおかしい。





( 2015.10.31 )

   


 先の国会では、野党の多くが集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更はけしからんと騒いでいたが、政党の憲法観なんてけっこういいかげんなものである。

 自民、社会、さきがけの自社さ政権で首相に就いた社会党の村山富市氏は平成6年7月の衆院本会議で、それまで自衛隊は憲法違反としてきた党の憲法解釈をひっくり返し、自衛隊は合憲だと明言した。 村山氏はこのときの反響について、日経新聞18日付電子版でこう振り返っている。
「憲法学者だって批判した者がおる。 『自衛隊合憲だなんて風上にも置けん政治家だ』 と、こっぴどく批判されることもある。 だけどそういう憲法学者も今はあまり言わない。 もう半分認めちゃったからね」

「弾力的に幅を持った形で考えていくことがなければ、政党の活動にはならない。 学者の集団で議論だけで勉強するならいいが政党なのだから」

議論と現実を区別

 たとえ憲法学者から批判されようとも、学者の議論と現実とをきちんと区別して政権を運営しようとした跡がうかがえる。 村山氏は著書、 『そうじゃのう …』 の中では、憲法9条と自衛隊の存在の矛盾に関してこう指摘している。
「矛盾をはらんでいる現状を政治がどう受けとめるかと考えた場合、 『自衛隊が憲法違反だ』 と言って、論外という扱いをしたんじゃ政治にならない」
 興味深いのは、自衛隊合憲を打ち出した村山氏も首相時代に、国会でたびたび追及を受けていたことである。 村山氏の答弁は、ときに開き直っているかのようにもみえる。

 例えば平成7年1月の衆院予算委員会で、自身の憲法解釈は憲法学者の多数意見とは異なり、いいかげんだと質問された際には、こんな答えを返している。
「憲法学者がどういう解釈をしているかについては、おそらく学者によっていろいろ議論はあると思う。 今あなたが言ったことを一方的に私が受けることはできない」

「私の解釈から方針を変えたんですよ。 自衛隊に対する政策を変えた」
 村山氏はこの答弁の真意について、 『元内閣総理大臣 村山富市の証言録』 でこう説明している。
「あなたの信奉する憲法学者の言い分を押しつけたって無理ですよ。 僕には僕の支持する憲法学者がいるんで、見解が違うのはあり得ることで、当然じゃないですか」

学者に寄りかかる

 なるほど、もともとさまざまな矛盾を抱え込んだ政治の世界では、多数派の学者が何を言おうと、己が正しいと判断したことを政治家としての責任で突き進めるしかないということだろう。 納得できる話だ。

 ところが、その村山氏は国会で安全保障関連法を審議中の今年7月、国会前での抗議集会に参加してこう声を上げていた。
「憲法学者の大多数がこの法案を 『憲法が認めない、憲法が反対している』 と言っているにもかかわらず、公然と国会の中で審議されている。 まず憲法を守るべきだ。 それが国会議員の役割だ」
 退






  


 東日本大震災における自衛隊の活躍は、今も多くの人が記憶していると思います。 冷たい泥と瓦礫の中で懸命に救助作業を行う彼らを 「安全保障以上に災害対応で必要な集団」 と感じている人も多いかもしれません。

 実際に、地震や津波、台風・豪雪・水害・火山爆発などの自然災害、口蹄疫や鳥インフルエンザといった疫病対策等のさまざまな場面で、自衛隊には地方自治体からの災害派遣要請があります。

 災害は突然に起こるものです。 特に火山爆発や地震、家畜の疫病などは予想がつきません。 自衛隊は、これまでの経験から、緊急時にコンクリートを割ったり建物をこじ開けたりする道具や防護服、耐熱装備などの災害対応に必要な機器や技術を有しています。 しかし、自衛隊は 「災害対応のためにある組織」 ではないのです。




 自衛隊は通常は国防のために必要な訓練や演習などを行っています。 1つの部隊が複数の仕事を受け持っており、災害対応に特化した部隊は存在しません。 そんな専任部隊や専用車、専用の在庫をもっていられるほどの予算や人員を持っていないのです。 つまり、いつでも出動できる準備が整っていて、車両に非常用災害セットを積み込んでおけるような体制ではないということです。 災害派遣要請があれば、その時やっていた訓練や演習を止め、基地に帰って来て、車両に載っている機材などを全部降ろして片付け、必要な機材や装備品を載せてから出て行くわけです。

 派遣要請の内容にもよりますが、人命救助なら生死を分ける時間は72時間です。 救助に向かうまでの時間が少しでも短い方がいいことは言うまでもありません。 だから、派遣部隊の第1陣は、 「とるものもとりあえず」、 「必要最低限のモノだけ」 を載せて人命を救うため、困っている人を助けるために、駆け付けることになります。

 要請を受けた部隊がどれほどの装備品や車両を持っているのかは、その部隊によりまちまちです。 比較的余裕があって、災害派遣のための物品を事前に車両に乗せていられるような部隊もあります。 しかし、中にはカツカツの予算でやっていて手持ちの車両も小さく、一度に大量の物資を運べないような部隊も存在します。




 自衛隊は、基本的には食料も野営も用具一式、お風呂まで持っている自己完結型の組織です。 だから、派遣要請した自衛隊のためには何も用意は必要ないと自治体は考えています。 たしかに、時間が経てば自衛隊独自の輸送方法を使って野営のための物品は運ばれてくるのですが、輸送用車両に隊員用の寝袋が積み込めず、最初の数日はこんな状態の派遣になる場合もあるということです。

 写真をご覧ください。 特定されないように、背景の色彩や自衛官の顔などは目隠しを入れていますが、現実の災害派遣で疲れ切った自衛官が 「寒い夜にひと時の休息をとっている」 時の画像です。 暖房もない冷たい体育館の床に雑魚寝です。

 自衛隊員が震えながら雑魚寝をしている様子を見るに見かねて、毛布や貸布団などを先に用意する担当者もいるようですが、このケースのように全く気にかけることなく放置する場合もあるのです。




 自衛隊員は 「普段から体を鍛えているから平気です。」 と言います。 でも、鼻水をすすりながら硬く冷たい床の上で眠れず震えているのです。 自衛官だって寒いのです。

 寒そうな自衛隊員にホッカイロを渡そうとしたことがありますが、 「勤務中ですから、結構です」 という美しい返事が返ってきました。

 そうです、若い隊員は決して自分から弱音は吐けないのです。 あまりにも健気なので押しつけるよう渡すと、ようやくかじかんだ手で袋を開けて貼ってくれました。 中年以降の年配の隊員は硬い床で寝ると、全身の冷えた関節が痛くてつらいのだそうです。

 緊急災害時で手が回らないとはいえ、自治体の担当者ももう少し自衛隊員に配慮できないものでしょうか? いくら鍛えている自衛隊員といえサイボーグではなく生身の人間なのです。 硬い床では寒いし疲れも取れないはずです。 充分な休養がとれれば翌日の作業でもずっと効率よく働けるじゃないですか。

 「人様への配慮」 「おかげさま」 という価値観が自衛隊員に対しては働かないというのはおかしな話です。 地震や台風、津波などで大量に物資が不足するような事態であれば、被災者優先で派遣自衛官が我慢しなければならないのは当然です。 でも、たとえば家畜の疫病対処なら物資は不足してないでしょう? そんな時には配慮してあげたいのです。




 戦時に備え、自衛隊員は常日頃から過酷な状況や理不尽に耐えることを美徳としています。 しかし、災害派遣は戦時ではありません。 ちょっとした気遣いで士気が上がり、休息がとれて体力も回復できるのです。 一声、 「自衛隊さんたち、寒くないか? 毛布あるよ?」 と言ってくれたら、どれほどの力が湧くか。 同じ人間なら、わかりますよね?

 東日本大震災の時、被災者に配慮して自衛官は目立たぬように寒い中で冷たい缶詰めを食べていたという話も聞きました。 美談として語り継がれていますが、その話を聞いて、 「そんな辛い仕事なら自分たちの子供には自衛官になってもらいたくない」 というお母さんたちもいるのです。 冷たい泥に塗れてあんなに頑張ってくれた隊員たちに、暖かい食べ物と寝床は十分に行き渡っていたのでしょうか。 とても気になります。

 現在、自衛隊員の募集は危機的です。 今いる隊員も、もっと条件のいい仕事に流れ、離職する可能性が高くなっています。 お互い支え合って生きていくのが社会でありコミュニティです。 気持ち。 感謝と労いは形にしてあげてほしいのです。 地域の人々の温かい気持ちが、厳しい現場で働く自衛官を支えますし、自衛隊に入りたいと思う人も増えます。

 米国では、軍人は尊敬されていて、軍人がコーヒーショップにいたら、誰かがその支払いを済ませてしまうこともよくあります。 軍人や警察への感謝と尊敬が乏しい我が国では、警察や消防の職員がうどん屋で食事をしていたら、 「けしからん」 と通報されます。 「お疲れさま、ありがとう」 と敬意を持って自衛隊に接する国になれば、自衛隊員は誇りをもって働けるようになります。 自衛隊員の不足で安全保障に穴が開く心配もなくなります。 ちょっとした気遣いで皆がWINWINだと思いますが、いかがなものでしょうね。