「龍」 を気取る 中国
 「虎」 の威を借りる 韓国
   そして日本はしゃぶられ続ける




 韓国は、大統領が代わるたびに定例行事のように日本詣でを行い、謝罪要求を繰り返してきた。 今度こそ最後だろうと思っても、いつもその推測は覆されてきた。 1998年にはついに、金大中大統領の訪日の際に 「過去の植民地支配」 についての謝罪と反省が明文化された。
 同年末、中国からは江沢民主席が訪日し、しつこく日本の過去についての正しい 「歴史認識」 と、謝罪と反省の明文化を要求して日本国民を閉口させ、反感を買った。
 そもそも江沢民主席訪日の目的は、 「二十一世紀に向けて日中関係を長期的に安定化する枠組みの構築」 を掲げることであった。 しかし、宮中晩餐会をはじめとしたさまざまな場所における江沢民主席の言動を見ると、 「二十一世紀」 の 「未来」 を構築するどころか、ほとんど 「過去」 の 「歴史認識」 問題に終始してしまった。
 それどころか、アジア地域における 「すべての紛争は平和手段により解決すべき」 とした共同声明を発表した翌日、早稲田・入学での講演では、 「台湾に対する武力行使は絶対に放棄しない」 と武力恫喝を始めた。
 この 「反覆無常」 ( コロコロ変わる )と矛盾だらけの言動に、多くの日本国民は呆気にとられた。 もちろんそれは江沢民主席の個人独特の言動パターンではなく、中国人によく見られる行動パターンの典型だった。

 それでも、中国のしつこさは衰えることがなく、12億の自国民から米国民へ、さらには世界へ向けて日本の軍国主義復活を訴え歩いている。 それを信じるような民は、情報統制のある中国人しかいないだろうと思われるが。
 戦後、周辺諸国と戦争を繰り返し、台湾に対する武力行使を匂わせ続けている中国。 さらには核兵器を持ち、中性子爆弾技術を誇示し、ミサイル技術や軍事情報の収集に狂奔する中国こそが、軍拡の一途を邁進する軍国主義そのものなのではないか。
 中国が日本へつきつけるもうひとつの切り札は、お馴染みの 「南京大虐殺」 だ。 その悲惨さを誇張し、個人的訴訟を起こして取り損なった戦争賠償をいまから日本から巻き上げようと、日本政府や企業に圧力をかけている。 中国がこのような態度を変えないかぎり、日本人の中国への感情は良くならないし、中国人の反日感情も変わることはない。 「小中華」 である韓国についてもしかりである。
 戦後から現在までの50数年間、少なくとも2つの世代交代を経て、とっくに戦争は終わり、戦後も終わったはずである。 戦後の並々ならぬ努力によって平和国家として復興した日本にとっても、もう戦後はとうに過去のものだ。
 「春秋に義戦なし」 という言葉があるが、 「列強( 時代 )にも義戦なし」 と見るべきだ。 人類の歴史を振り返ると、戦争や紛争でどれはどの痛手を負っても再びそれを繰り返す。 人類とは賢い反面、それほど愚かな面を持っている。 日本もかつて、戦争を鼓舞した時期があった。 しかし多くの場合、一時の愚行を経験すれば、ある程度の期間は反省に費やすものである。 中国はその知性とは無縁な国だった。 いや、いまでもそうである。

 それにしても、なぜ中韓は 「未来」 にはまったく目を向けることなく、日本の 「過去」 の追及ばかりに躍起狂奔するのだろうか。 その理由について、要約すると次のような点があると考えている。
 日本には神道の 「禊祓みそぎはらえ」 と 「水に流す」 という、過去にとらわれない伝統文化があるのに対し、中韓は過去にしがみつき、すでに死んだ者が生きている者を支配するような社会である。
 また中韓には儒教思想・朱子学の影響が色濃く残っている。 現在も続く 「勧善懲悪」 という自己中心的な考え方は、これらの影響によるものだ。 大中華( 中国 )も小中華( 韓国 )もスケールの大小こそあれ、中華思想的優越意識という部分では同じである。 したがって、 「反省」 は自ら行うものではなく、相手にさせるものであるという意識が強い。
 中華思想からくる他人に反省を求める衝動は、日本人に対してだけではない。 中国の国内にもこの傾向は顕著に表れており、 「死ぬまで悔い改めない」 のが常識であるため、国家指導者は失策を犯しても反省などしない。 逆に政敵に対しては 「反省」 や 「自己批判」 を執拗に求め、失脚者に対しての同様の追い討ちは非常に徹底している。 文革当時に限らず、最近の 「法輪功」 への 「反省」 や 「自ご批判」 のつきあげもその一例であるし、これらの例を挙げれば枚挙にいとまがない。
 さらには、両国は、民族主義と愛国主義を育て、政治的な責任は他者に転嫁し、傷つけられた自尊心を取り戻すための口実として反日を利用していることも見逃せない。 反日は、国内の民意民力結集のためのテコとしての重要な要素と認識しているため、簡単には手放せないだろ。
 その他、中韓とも前朝や先代の遺物を破壊してきた史実が証明するような、誤りはすべて過去のせいにする責任転嫁の伝統、日本を蔑視する華夷かい思想、経済的な劣等感からくるコンプレックスによるサディズムなどなど……。 中韓の反日意識はじつに根が深く複雑だ。

 両国の反日・侮日は、単純に日本の無反省に対する反発なのではなく、最終的には克日を目指したものである。 そのため、歴史偽造や唯我独尊の歴史認識を日本になんとか押し付けようとしている。 今後も、この独り善がりな歴史観を押し付け続けるだろう。
 このように、どう見ても中韓の反日の理由は文化摩擦や文明衝突にある。 この文化の根源にある相違をお互いに認めないかぎり、文明衝突はいつまでも続くだろう。
 それを日本が謝罪すればするほど、相互の関係悪化を助長することになることは必至だ。 日本は、そこに気づくべきだろう。
 それにしても日本はこれまで、過剰なほど中韓へ気遣いし尽くしてきた。 本来、戦争についての真の反省とは、このような過去へ向かった謝罪ではない。 現在と未来に向けて、いかに自国民により多くの自由を与え、いかにより豊かな生活を確保し、いかにして対外的な武力行使や恫喝をしないかなどといった、反省をもとに未来を考える姿勢が本来あるべき反省の仕方である。
 しかし80年代以降、日本は中韓のゆすりたかりに屈し、過去ばかりに向けた反省、間違った反省をし続けているために、中韓につけこまれ、世界の笑い者になってしまっている。

 こうした日本の卑屈さの裏に、中国、韓国の反日を煽る 「反日的な日本人」 の存在がある。 中華人民共和国は建国以来、 「人間改造運動」 、いわゆる洗脳運動を続けてきた。 主な方法としては、 「改造」 される人間の 「過去」 について 「告白」 させるというやり方だが、日本の反日日本人も、中国によって 「過去」 を 「告白」 させられた 「改造」 人間なのだろう。 彼らは、日本が過去犯してきた大罪を洗いざらい世界に 「告白」 し、新たな世界革命や人類解放の前衛となるべく日本を 「改造」 させる要員として中国に期待されたのであろう。
 日本が卑屈になるのは、日本人の自業自得であるが、一方で、こうした日本の態度が中国や韓国の増長を生み、他のアジアの国々にも悪影響を及ぼす結果となっていることを、日本人は知るべきである。 日本国民自身のためにもその他の国のためにも、中韓の独善と跋扈を唯々諾々と受け入れることは改めなくてはならない。

 二十一世紀には、人類はじつに多くの共通の大きな課題を抱えることになる。 人口、食糧、資源、環境……数え挙げれば切りがない。 アジア、東アジアだけでも、ポスト冷戦は欧米の軍縮競争とは正反対に軍拡を続けている。 中国、韓国にはいまも政治、経済問題が山積している。 その中韓が日本に対して本当に欲しているのは、経済的支援とハイテク技術である。 しかしもはや 「過去」 でしか日本からお金を引き出せる理由がない両国は、日本の過去問題を手放すはずもない。 中韓は 「二十一世紀はわが国の時代」 と胸を張っているが、それならばもっと現在と未来を直視する勇気を持つべきではないだろうか。
 中国、韓国、そして日本の 「獅子身中の虫」 である反日日本人の虚妄を暴き、理不尽な攻撃とゆすりたかりに対して、日本はどう逆襲すべきか。 次世紀における日本国の生存権を防衛するためにも、立ち上がるのはいましかない。

 戦後の日本人は無責任になり、臆病にもなったとよく外国から指摘される。 それは、日本の国際貢献に対する不満からくるだけではない。 日本国内でもそのような声が上がっている。 少なくとも、かつて 「サムライの国」 として、勇気ある国民と見なされていた日本が、戦後になって臆病になったのは事実だ。 臆病になれば、他人のことどころか自分さえも守れない。 それは、責任感がどうのというレベルの話ではない。
 平和国家に長く暮らせば、天敵のない南極のペンギンのようにおとなしくなり、アホウにもなるだろう。 実直は美徳だが、厳しい競争が繰り広げられている国際社会では、日本人はいいカモになるだけだ。 なぜ、戦後の日本人がそうなったのだろうか。 何か日本人をそうさせたのだろうか。
 戦後、日本人がアイデンティティを喪失してしまったのは、戦争に負けたからではけっしてない。 国家間の戦争というのは勝ったり負けたりするもので、負ければ負けるほど再起して強国になれる場合も多い。 たとえば、中国の戦国時代がそうであり、西ヨーロッパの列強もそうであった。
 しかし、戦後の日本では、一部の反日日本人が 「世界革命、人類解放」 を目指して 「進歩的文化人」 となり、外国と内外呼応して 「良心的日本人」 となって、日本という国家を打ち壊そうと躍起となった。 マスコミや教育を操作し、世論を巧みに誘導することによって、日本人は次第にアイデンティティを失っていくことになった。 いまでは国民主義が否定され、そのかわりに市民主義が台頭している。
 しかし、彼らの精神的支柱である社会主義諸国は、イデオロギー的には 「世界革命、人類解放」 を口にしながらも、じつは民族主義と愛国主義が高揚しており、国家主義の絶対化か進んでいる。 それに対して、日本では国歌、国旗まで批判されることとなった。 「侵略」 のシンボルとされただけでなく、国歌や国旗がアジアを 「侵略」 したなどと、荒唐無稽な主張までも操り広げられた。
 そもそも日本人とは、反省好きでマゾ的なところのある民族であり、反日日本人を育てるような土壌がある。 彼らは 「改造」 され、過去の 「告白」 によって中韓から 「良心的日本人」 とされて調子に乗り、よりいっそう 「告白」 に狂奔した。
 自己批判的な傾向のある知識人は何も日本人だけではないが、しかし、反政府的や反体制的な思想を持っていても、反日日本人のような反民族、反国家を平気で掲げる知識人がいるのは、世界広しといえども日本だけだ。
 50年以上経っても、戦争の恨みつらみが渦巻く民族とは、日本は手を切るしかない。 百年以上経って、いまこそ福沢諭吉の決断力に学び、 「アジアの悪友どもとの付き合いを謝絶せよ」 と言いたい。 現在は二〇世紀末だが、まるで十九世紀末に戻ったような錯覚がある。
 日本が脱亜大敗を決意したのは、けっして白人好きでアジア嫌いだからではない。 近隣の悪友どもとは、ともに天下を語ることができないからだ。 日本の決断ひとつで二十一世紀のアジアの流れが変わるだろう。 その決断とは、中韓からの無理難題、ゆすりたかりを正々堂々と拒絶して、袂を分かつことである。
 中国の凶暴化と韓国の 「夜郎自大」 の責任は日本にある。 日本が両国に対して反省と謝罪をすることで、中国はさらに凶暴化し、対内的にはプロレタリア独裁を強化し、自由、民主、人権が蹂躙されることとなり、対外的には 「武力」 での恫喝を強化することとなる。 いままでの日本は、悪人どもが犯罪をおかす手助けをする共犯者のようなものだ。
 韓国は、反日、侮日、克日の感情を鼓吹することによって、経済的には日本に負けても文化的、道徳的には優位を保ちたいと必死にあがいている。 韓国人の自信過剰、夜郎自大を助長して、韓国人の人種差別意識を半島から海外へと拡散させた日本の責任は大きい。
 言論、教育、司法、安保、憲法に至るまで、いちいち中韓から内政干渉され、魂の問題である日本首相の靖国神社の参拝さえも、中韓から許可を得ないとできなくなっている。 日本はどこの属国でもない。 日本人は、そのことにもっと自覚を持ってしかるべきである。

 日本と中韓の実力の差は、どの側面から見ても歴然としている。 昨今、景気が低迷してはいるか、日本はいくら腐ってもタイである。 いくらだめだと言われても、アジアのなかでは政治、経済、社会、文化などのあらゆる分野で最先進国であることに変わりはない。 現在でもアジアの資本や技術、知識と知恵の最大の供給国として機能している。 何よりも、ここ半世紀以上、アジアのなかで唯一内外戦争のない安定国家、最大の安定勢力である。

 中韓ともに、自己中心で自国中心の国家であり、ご都合主義が国家行動の原理である。 百年の友好も一日で捨てられる。 しかし日本はそうではない。 中韓からの理不尽な内政干渉や、彼らの 「正しい歴史認識」 をきっぱりと拒むだけでなく、中韓に対して日本の 「正しい歴史認識」 を突きつけるべきだ。 中韓ほど、歴史が偽造された国はない

 いま、中韓の戦略的属国から独立するためにも、日本は決然と奮起し、アジアを発展へと導く牽引力としての自覚を持つべきときが来ている。





( 2012.10.30 )

  


 「アラブの春」 以降、アラブでイスラム原理主義が台頭する状況はもはや 「アラブの嵐」 状態。 そんな中、イスラエルがイランに対して攻撃を加える可能性が高まっている。 イスラエルがイランへの攻撃に踏み切れば、日本とて影響を受けずにはいられない。 中東情勢から日本が学ぶことはあるのか。
 世界情勢は将棋盤のように複雑だ。 ある一箇所でバランスが崩れれば、その影響は全体に波及する。 ロシアはイランを助けるだろうし、アメリカはイスラエルを支援せざるを得なくなる。

 この紛争による混乱に乗じて、中国が行動を起こす可能性も高まっている。 例えば尖閣諸島への上陸は、平時であれば国際社会から非難を受けるが、中東で戦争が起きていれば話は違ってくる。 日本はその時、ならず者国家と自分自身の力で対峙しなければならない。

 中国で反日デモが起きても、大多数の日本人は東京の中国大使館の前で同じことをしようとは考えない それはそれで素晴らしいことだ。 一党独裁の中国と、やや稚拙ではあるが民主主義国家の日本は全く違う。 大人の品格ある国家として対応すればいい。 日本人はスポーツの試合でも相手国の国歌斉唱の際にブーイングなどしない。 相手を尊重し、自国に誇りを持つ。 その姿勢はもちろんこれからも失ってはならない。

 ただし一方で、相手が一線を越えたらいつでもケンカができる姿勢を見せなければならない。 中国の品格なきデモや韓国の反日ヒステリーは二流国の証し だが 「日本が反撃しない」 とわかっているからエスカレートしている側面はある。

 尖閣を巡って中国の海軍と向き合うような事態になった時、日本にブリンクマンシップ( 瀬戸際戦略 )を取る能力はあるだろうか。 極限まで緊張を高め、その結果として相手の譲歩を引き出す手法だ。 50年前のキューバ危機で、ジョン・F・ケネディは第三次世界大戦勃発ギリギリまで緊張を高め、ソ連のフルシチョフから譲歩を勝ち取った。 その時と同じことが日本にできるかが問われるのだ。

 日本には諜報機関が必要だと20年以上言い続けてきた。 「ケンカ」 をするためには情報がいるのだ。 ケネディもただ単にフルシチョフと我慢比べをしたわけではない。 搦め手では大使ルートでアメリカの諜報機関がソ連の弱みを握っていることを伝え、脅しをかけていた。

 日本人の武器は頭のよさのはずである。 お行儀の良い賢さだけでなく、インテリジェンスの世界で通用する賢さを身につけなくてはならない。 そのために残された時間は少ない。

 確かに日本の国力は落ちてきた。 その状況を見透かして、中国や韓国、ロシアは日本にケンカを仕掛けている。 国家の危機だが、これはチャンスでもある。 日本では総選挙が近づいてきたが、有権者の一人ひとりが深く考えるべきだ。 政治家の甘い言葉に騙されていないか、大新聞・テレビの無責任な報道に踊らされていないか。 そして、国を守るためにはどういった投票行動が必要なのか。

 日本人はお上に唯々諾々と従いがちだ。 それでも耐えながら結果を残すのが美徳とされてきた。 しかし、激動の世界の中で 「政治家はバカだが国民は一流」 というスタイルでは生き残れない。 規律正しくありながらも、言うべきことは言い、ケンカすべき時はケンカをする。 その覚悟が求められるのは、国家も政治家も個人も同じなのである。