( 2018.08.05 )

  





自民党本部前で杉田水脈議員に抗議する人たち
 10年ほど前に永田町でよく聞かれた言葉に 「アカウンタビリティ」 という言葉がある。 「説明責任」 と訳され、ちょうど公共事業が問題視されていた頃に、政権を獲る前の民主党を中心に主張された

 その具体的内容が曖昧だったため、 「アカウンタビリティ」 という言葉は政治の場ではいつの間にか使われなくなってしまった。 しかし、いまこそこの言葉を思い出すべきだと考えている。 というのも、最近の政治家は、自分の行為について説明不足のまま逃げることが多発しているからだ。 説明する能力に欠けるのか、説明する意思がないのか、それともその両方が欠如しているのか。




 まずは2017年9月に民進党幹事長に内定しながら、その日の夜の弁護士との “逢瀬” が週刊誌に報じられたため、離党に至った山尾志桜里衆議院議員だ。

 山尾氏が離党届を提出したのは9月7日夜の国会内。 党本部で待機していた大島敦幹事長( 当時 )は院内に急行し、記者たちも慌ててそれに続いた。 問題は夜の議事堂は出入りが困難で、記者章を持たない雑誌記者やフリーランサーはほとんど入ることができない点。 さらに山尾氏は離党届を提出した後にもかかわらず “民進党の控室” 内で声明文を読み上げ、質問しようとした記者を振り切って立ち去った。

 なお山尾氏の “スキャンダル” を見て、安倍晋三首相は 「今なら勝てる」 と解散を決意したと言われる。 ならばなおさら山尾氏は野党崩壊の端緒を作ったその責任を果たすべくきちんと説明すべきだった。

 細野豪志元環境相も説明責任を果たしていないひとりといえる。

 6月27日の朝日新聞は細野氏がJC証券から昨年10月19日( 衆議院選投票日の3日前 )に5000万円を借り入れたものの、当選した議員が行わなければならない資産報告から漏れていた点を指摘。 これについて細野氏は 「選挙資金ではなく急に必要になるかもしれない政治資金」 で 「選挙後の借り入れと勘違いした」 と書面で回答した。

 しかしながらこのときすでに細野氏は小池百合子東京都知事に 「リセット」 された後で、党運営に巨費を準備する必要はない。 また玉木執行部に協力した様子もなく、当時の希望の党代表だった玉木雄一郎氏( 現国民民主党代表 )は、 「そんな資金があったのなら、私は借金する必要はなかった」 と述べた。

 もっとも細野氏に説明のチャンスがなかったわけではない。 翌28日に開かれた小泉進次郎自民党筆頭副幹事長が率いる 「 『平成のうちに』 衆議院改革実現会議」 の会合に副会長として出席した細野氏の元には記者団が殺到した。 記者らは隣室での記者会見を求めたが、細野氏は 「役員会があるから」 と言い訳し、10分程度のぶら下がりで終わらせている。 「これでは本質のことが聞けない」 と記者のひとりは漏らしていた。




 古屋圭司衆議院議院運営委員会委員長のパーティー券二重帳簿疑惑は古屋氏に恨みを持った関係者の仕業であることがほぼ明らかであるが、こちらもきちんと説明を行わないままだ。

 議員会館の事務所での金融庁のレクに仮想通貨発行業者を同席させた野田聖子総務相はきちんと会見を行い、事件の背景などに答えるべきだろう。

 野田氏は9月に予定される自民党総裁選に出馬の意欲を示しており、8月5日に発表した 「目指すのは世界標準の国」 では 「フェアな国づくり」 で世界から信用を得ることを目指すと宣言。 だが 「フェア」 とは特定の業者を優遇することなのか。 推薦人集めに奔走する前に国民にきちんと説明すべきで、それも怠りながら世界の信用を得るなどとは何をかいわんやだ。


月刊誌『新潮45』に掲載された自民党の杉田水脈衆院議員の寄稿
 LGBTへの差別を煽りかねない論文によって話題になっている杉田水脈みお衆議院議員の問題は、どうだろうか。

 よく知る杉田氏の素顔は極めて普通の女性で、時折超保守的な言動が見られるが、過激な思想を持つ危険な政治家というイメージはない。

 しかし杉田氏が寄稿した 『新潮45』 8月号の 「 『LGBT』 支援の度がすぎる」 を読むと、いくつかの誤解を生じかねないと思った。 そのうちのひとつがLGBT( レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー )を 「生産的ではない」 と断じ、そこに税金を投入することを疑問視している点だ。

 確かに同性カップルには、現在では自分たちで子どもをつくることはできない。 しかし子どもをつくることだけが 「生産的」 といえるのか。

 同性カップルも社会の一員として税金を納め、その税金が福祉予算などに使われている。 子どもを持たないために控除はないが、その分を他の子育てなどに寄与しているという形だ。

 また子どもをつくることを 「生産的」 として税金投入の価値判断とするのなら、10人の子どもを持つ女性は1人の子どもを持つ女性よりも社会で10倍優遇されるべき存在となる上に、なんらかの事情で子どもを持たない( 持てない )女性は 「生産的でない」 ということになりかねない。

 これが 「個人の尊厳」 に反することはもちろんだが、もっとも杉田氏が完全な私人ならば、こうした考えも 「思想の自由」 「表現の自由」 という点で認容されてもいい。 しかし杉田氏は国会議員という公職にあり、しかもその地位は憲法第43条によって 「全国民の代表」 と規定されている。 しかもその 「国民」 にはLGBTの人たちも含まれているのだ。

 杉田氏はこうしたことを認識した上で寄稿しているのだろうが、それならば舌足らずの論文だったといえる。 しかも、舌足らずの論文に対する説明を行わないまま放置をしたこともあり、論文の内容が曲解され、とんでもない騒動にまで発展している。

 朝日新聞出版のニュースサイトであるAERA dot.は7月27日夜、 「杉田水脈衆議院議員の顔は 『幸せに縁がない』? 観相学で見てみたら……」 という記事を配信。 その内容は杉田氏の論考とは全く関係ないもので、意図的に杉田氏を貶めるものだった( 28日未明には全文削除されて謝罪文が掲載された )。

 同じような厳しい反応はあちこちに見られた。 ジャーナリストの青木理氏は7月29日のサンデーモーニングで 「極論すれば相模原で19名の障碍者を殺害した被告と同じ優生思想に繋がりかねない発想」 と言及。 しかしこれは2017年の衆議院選で杉田氏を優遇した安倍内閣を批判するための批判で、ここまで極端に “違法性” を拡大する必要があるのかは疑問だ。




 こうした騒ぎについて自民党は当初、 「議員個人の執筆活動」 として静観するつもりだったが、党本部に押し寄せるデモなどを見て問題が拡大することを懸念し、党内で杉田氏に対する批判の声があることも考慮したのだろう。 8月1日にはホームページ上に 「LGBTに関するわが党の政策について」 と題して 「今回の杉田水脈議員の寄稿文に関しては、個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するように指導したところ」 と声明を掲載した。

 杉田氏も5日の細田派の軽井沢合宿には参加せずに謹慎しているが、むしろ今こそ国民に向かって自分の考えを説明し、修正や補足すべきところがあれば、それらを表明すべきではないか。 “多様性” や “共生” はひとつの思想だけが正しいのではなく、さまざまな考えが研鑽しあって理解に繋がることを意味するはずだ。 その一石を投じた杉田氏には、その義務がある。 加えて国会議員としての責任も重大だ。

 問題が生じればただちに対応し、その真相を明らかにする。 これは危機管理の原則で、政治家にも当てはまる。 「いちいち会見を開いて時間をとるべきではない」 という意見も一部にはあるが、問題が長引くことのマイナスを考えれば、1時間や2時間の記者会見時間はコスト面で十分に採算がとれるし、それこそ生産性が高いといえるだろう。

 




chochotte,,,,,,,,,,,,